階段を登ることの意味

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こちら、昨年までは結構、
気分転換に頻繁に来ていたのですが、
じつは今年になって初めての来訪。

大田区にある、池上本門寺の山門の
「石段」ですね。
すっかり秋になっていました。

全部で96段。
なかなか上がるのも大変なこの階段ですが、
日蓮上人が創建したときからあったものでなく、
後の時代に加藤清正が増築寄進したもの。
正確には
「此経難持(しきょうなんじ)坂」
と呼ばれているそうです。

江戸時代になってすぐ、
1606年くらいのことだそうですね。

此経難持=この経を持つのは、難しい。

日蓮さんが「これだけ唱えればいい」と
言ったのは「法華経」ですが、
「このお経を真に自分のものにするのは
難しいことだよ」と、
そのお経の中には書いてあるとか。

そこで、この「難しいよ」と言っている部分の
96文字を石段の数にして、
独唱しながら登れば、
体得することができるのでは……と。

なるほど、難しい内容は
体でもって理解しろということ。
武人だった加藤清正の発想なのかもしれません。

このお寺に限った話ではありませんが、
高い階段にはちゃんと、意味があるわけですね。
登った人は心しないと、
労力がもったいないでしょう。

ちなみに、こちらは新しくできた「清正公堂」。
多くの寄進を行った
加藤清正さんを祀った塔ですね。

江戸にいたのは短い期間ですが、
たくさんの痕跡を残している方です。

もっと有名なのは、江戸時代から残っている
こちらの五重塔。
足元のところには『五重塔』という作品を残した
幸田露伴さんも眠っています。

私は『努力論』を訳したこともあり、
たびたびここをお参りさせていただいています。
現在はお墓の場所を移され、
記念の碑だけが残されているようです。

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