十五夜の前に

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9月21日の今日は、「十五夜」の日。

8年ぶりに、満月の「中秋の名月」が

見られるかもしれないそうです。

 

でも、ちょっと違和感がありますよね。

十五夜の月とか、中秋の名月って、

そもそも満月なんじゃないの……?

 

じつは微妙に違うそうなんですね。

 

「十五夜の月」とは、

旧暦で「8月15日の月」ということ。

暦のうえで満月には近いのですが、

必ずしもそうなるとは限りません。

 

ただ、この日の月はたいてい美しいから、

「お月見」というお祭りをすることになった、

中国で行なわれていたものが、日本で定着したそうですね。

 

そう考えると、この8年間、

私たちは満月でない月で

「お月見」をしていたことになります。

微妙に欠けていた。

 

それでいいのか?……といえば、

じつは満月でなければならない理由もない。

というのも

「十五夜の月見」というのは恒例行事であって、

月がどんな状態でも行なったそうです。

 

それこそ月が雲で隠れていたら、

「無月」といって、これを喜び、

雨が降っていたら、「雨月」といって

やはりこれを喜んだといいます。

 

一体何の意味があるのかといえば、

目的は月への感謝と、毎年の繁栄を祈願することです。

 

そもそも月見を習慣的に始めたのは

平安の貴族たちですが、

彼らが月を見て祝い、和歌を詠んだりしたのは、

それによって美しい月が出ることを

絶えさせないようにするため。

 

月の満ち欠けが安定していることは、

世の中が安定していることであり、

災害にみまわれず、

毎年の収穫がきちんと約束されることの

条件でもあったわけです。

 

だいたい月の正体だって、

わかっていたわけではありません。

突然なくなってしまわないかと、

不安に思う人だっていたでしょう。

 

何とかして月に

そのままの状態でいてもらおう……と。

それで始まったのが、

お月見のお祭りということですね。

 

そうした感謝は21世紀でも変わらないこと。

天気は少し微妙なようですが、

空に月が浮かんでいることを喜びましょう!

 

本日もそれなりに、月はキレイでした。

[公私混同の時間]

老子の説く「最髙の生き方」

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「最髙の生き方とは、水のような生き方ではないか?

水は万物の成長を助け、それでいて競い合わず、

人が蔑む低い場所でも、

不満を言うことなく留まっている。

人に対しては情け深く、言葉では信義を守り、

世の中に対してはつねに平和を求め、

その行動はつねに理に適っている。

そんな『水のあり方』を模範にして、

人と競い合わないのが一番いいのだ」

 

コロナ禍のギスギスした世の中に、

この言葉はとても響きますよね。

 

今日は「敬老の日」ということで、

こちらは古代中国の思想家、老子の言葉。

紀元前6世紀くらいを生きたとされますが、

その正体はよくわかっていません。

 

「正体がわかっていない」ということは、

本当は年をとっていたかどうかもわからない

……のですが、

『史記』には孔子が、大先人である老子の教えを

受けに行った話が紹介されています。

その際、孔子は問いました。

「先生は古人の知恵をどのようにお考えですか?」

 

老子の答えはこうです。

「古からの知恵が正しいなら、

世の中はこんなに乱れていないだろ?」

そんなものを学んだからといって、

君はいい気になってはいけないよ」

 

このエピソードが本当かどうかはわかりませんが、

常識にとらわれずに

ズバッと本質を突くのが老子。

その点で儒教が

国の哲学になっている『史記』の時代でも、

老子はかの孔子ですら諌めてしまう

大賢者と考えられたわけですね。

 

本当のところ、

老子は孔子よりずっとあとの時代の人だった

……という話もあります。

 

ただ、孔子たちの教えが、

国家のリーダーたちに向けた

人間教育の教えだったのに対し、

老子は「本当の幸福とは何か」を追求する

人生哲学の教え。

 

だからこそ

「ありのままに生きよう」という現代になって

老子の教えはやっと生かせる時代に

なっているのかもしれません。

画像は講談社学術文庫版ですが、

読んでみるといいかもしれません。

最近は少し

中国古典を勉強し始めている私です。

仕事にもそれが反映できるといいですね。

 

[夏川賀央の「古典学のススメ」]

「敬老の日」の起源

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今年は9月20日が「敬老の日」なんだとのこと。

緊急事態宣言下でついつい忘れてしまいますが、

連休だったのですね。

 

かつて9月15日だった同日も、

今は「9月の第3月曜日」となっています。

ただ、本当は9月20日のほうが

「敬老の日」に相応しかった……という話もあります。

というのもこの日は、

元正天皇が岐阜にある「養老の滝」を

訪ねた日にちなんでいるそうなんです。

 

「養老の滝」とはご存じの通り、

昔話に出てくる滝ですね。

「貧しい若者が年老いた父親へ水を汲んできたら、

水が美味しいお酒になっていた」

という話があります。

 

噂を聞いた元正天皇は、

はるばるこの地を行幸し、

「全国のお年寄りの方をいたわるように」という

お触れをだしました。

同時に元号まで「養老」と変えたそうです。

 

これが9月20日。

まあ、新暦では11月になるそうですが、

8世紀という昔に、

そんな福祉政策を重んじたリーダーがいらっしゃったのですね。

ちなみに元正天皇は女性の天皇でした。

 

ただ、現代になって、

この日を「敬老の日」にしよう

……という決断をしたのは、

兵庫県野間谷村の村長さんです。

 

この方、門脇政夫さん、という方ですが、

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」

ということから、1947年に

日本初の「敬老の日」をつくりました。

 

当然ながら当初は休日でもなんでもなく、

単に村で敬老会を行ない、

老人たちの知恵を集めた日……だったのですが、

やがてこのアイデアは兵庫県全体で取り入れられます。

 

そして戦後になり、

「国民の休日を増やそう」という動きのなか、

国で9月15日を「敬老の日」の

祝日にすることを決めたそうなんです。

 

つまり8世紀の天皇の思いつきが、

時を超え、時間をかけて地方から全国へ

広がったということか。

まさに昔の人のアイデアが、

いまの世の中に必要な発想であることは

十分にあるわけですね。

 

こちら、養老の滝です!

私が 訪ねたのはずいぶん昔のこと。

旅ができるようになったら、また行きたいものです。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

「白い彼岸花」の秘密

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池尻大橋の小川沿いに咲いていました。

もう、この花が咲く季節になっているんですね。

彼岸花……です。

 

ただ見ての通り、

こちらは普通の赤い花でなく、

ちょっと珍しい白い種類。

調べると九州に多い、交配種なのだそうです。

 

仏教では極楽浄土に咲く

「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)と呼ばれる彼岸花。

でも、そもそもこの意味は

「赤い花」ということですので、

白くなったこちらは相応しくありません。

 

赤い花も少し毒々しいのですが、

「彼岸」というネーミングも合わせて

白は何となく不吉な感じもします。

 

じつはこの「彼岸花」という名前、

「お彼岸のころに咲くから」だと思いきや、

根に猛毒が含まれていることから名付けられた

という説もあるとか。

「食べたものを彼岸送りにする花」ということですね。

 

それを象徴するように、

この花の「別名」というのは、

なかなかにえげつないものになっています。

 

「地獄花」「死人花」「幽霊花」「ヘビの花」

「狐の花」「雷の花」……。

 

英語ではその形からでしょうが、

「蜘蛛のユリ=スパイダーリリイ」

と呼ばれるとか。

仏教以外では、あまり気持ちよく

思われてこなかったのが、

彼岸花へのイメージのようですね。

 

なんでも根に毒があるから、

モグラや地中の虫があまり来ないように

彼岸花はお墓に植えられることが多かったようです。

それが「死の花」のイメージをさらに強化しました、

 

ただ、飢饉などのときは、

毒を抜いたうえで、

野に生えているこの花の球根を

非常の食料にもしたようです。

 

それで運の悪い人は彼岸に運ばれてしまう。

そりゃあ彼岸に運ぶ花になりますね。

 

私たちはその魔性的な美しさを鑑賞し、

決して口には入れないようにしておきましょう。

 

[公私混同の時間]

「まっくろくろすけ」の日々

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じつはこの数日、

「まっくろくろすけ」に悩まされていました。

 

知っているでしょうか?

『隣のトトロ』に出てきた黒い小さなやつですね。

たとえば明かりをつけると、

2、3匹がその辺を走ったり。

ご飯のとき、箸を取ろうとすると、

サッと手元をかけぬけていったり。

あるいは、パソコンと自分の間を

フワフワと浮いていたり……。

 

これ、映画での正体は「妖怪」なんですが、

まさかそんなスピリチュアルな話を

しようというわけではありません。

 

「飛蚊症(ひぶんしょう)」

というんだそうです。

「蚊が飛び回っているように見える症状」

ということですね。

 

原因はさまざまですが、

じつは目の中には細胞の塊だったり、

繊維だったりというものが浮かんでいます。

それが光の加減によって、見えてしまう症状。

 

通常は補正がかかって、

気にならないくらいに目は無視しているのですが、

これが多くなるのは、網膜剥離などの場合。

あるいは白内障の手術をしたあとでも、

急に光が入るようになるので、

慣れるまでの数日間に、発生することがあるようです。

 

実際、2、3日で治ってきましたから、

私も手術の影響なのでしょう。

大丈夫だろうとは思います。

 

でも、いろんなところで黒い塊が動き回りますから、

ちょっと嫌な感じにもなりました。

つかもうとしてつかませんからね。

 

ただ、よくよく考えれば、

「まっくろくろすけ」の原因になるものは、

確実に目の中にあるわけです。

言い換えるなら、

私たちの目に見えている世界は、

正しくそこにあるものをとらえているわけではない。

目は見えている世界を加工し、

私たちにとって生活しやすい世界を

目の前に映し出してくれています。

 

その点では目に感謝するとともに、

「目の前にあるものだけが事実でない」ことを

認識しなければいけません。

 

考えてみれば、

「何をどう見ているか」なんて

人によって違います。

自分だけの視点で物事を判断するなという、

これは一つの教訓なのかもしれませんね。

 

「まっくろくろすけ」も、

あまり見えなくなると、今度は寂しくなるかもなぁ。

 

[公私混同の時間]

ハザードマップが教える身近な危険地帯!?

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熱海で大きな土砂崩れがあってから、

とかく「ハザードマップ」については

よく聞くようになりました。

 

このハザードマップも、じつは

「洪水」「内水」「高潮」「津波」「土砂災害」

「火山」「地震」「宅地」……などと

種類があってややこしいのですが、

「浸水ハザードマップ」なるものが

昨日に区から送られてきました。

「洪水」と「内水」を合わせたものだろうか?

ちょうど台風も来ているし気になります。

 

東京の港区で「水害」なんて、

ありえないと思うかもしれません。

 

でも、マップを一目見ればわかるように、

中心にざっくりと、

2メートル以上の浸水が想定される

危険ラインが通っています。

 

これは歴史的にも増水を頻繁に起こしている、

「古川」の流域と、

その水を貯えている芝公園の付近ですね。

かつては台風が来ると、

麻布十番の付近ではしょっちょう

浸水被害が出ていました。

 

ただ、最近は貯水施設がかなり整備され、

大雨が降った日も、

水があふれることはなくなっています。

だから

「3メートルを超える水害の可能性があるエリア」は

地図を見てもほとんどない。

 

そもそも自分の家は川から離れているし、

何も心配することはないように見える。

安心、安心……と思いきや、

すぐ近くに1か所、

「3メートルを超す水害があるかも?」

と記される、小さな場所があるではないか!

一体ここはどこか?

 

おそらくは「八芳園」の庭にある池、ですね。

 

いわずと知れた結婚式場の

風光明媚で知られる庭園ですが、

あの池ってそんなに危険なのか?

 

まあ、水をたたえている池自体が、

最初から浸水しているようなもの。

さほど気にすることはないのでしょう。

 

ただ調べると、かつては

大久保彦左衛門が居を構えた場所で、

近くを流れていた川から水を引き、

それをせき止める形で池を造っているらしい。

 

ということは、付近は周囲よりも

少し谷間になっているわけです。

仮に水があふれたとすれば、

隣のシェラトン都ホテルや覚林寺にまで

浸水が広がっていくと、地図から読み取れます。

 

すると、どれも安心そうな施設ですが、

大雨のときは回避したほうがいいかも……。

そんなことを言うと怒られそうですが、

ハザードマップには小さな可能性も記されてはいる、

ということですね。

 

家の周囲にどんな危険があるのか、

一度見てみるといいかもしれません。

 

[効率無視の仕事術]

50年愛され続ける謎のパン!!

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これがじつは1974年の発売で、

町のパン屋さんがコンビニ変わっても、

47年間、一貫して人気を保っているとのこと。

 

三共製菓の「かにぱん」ですね。

 

でも、不思議、「可愛いか?」と問われれば

「えっ?」と思ってしまう……。

だいたいこの造形、

普通に食べる「カニ」じゃないですよね。

南の島にいる「ヤシガニ」を思い浮かべてしまう。

 

では味は?……といえば、

マズいということはありませんが、

よくも悪くもシンプルです。

甘すぎず、柔らかすぎず、適度に固い。

 

それが50年売れる理由は、

何より「子どもに愛された」ということがあるようです。

 

普通に「子どもが好きな味」ということではありません、

優しい味わいが、離乳食として最初に食べるものとして

適切ということ。

 

同時に、このカニの間接をあらゆる部分でちぎって、

量を調節できる。

しかも分けて食べられるように、小さなカニのパンが2つ入り。

そうした食べやすい配慮が、

長く愛される秘密になっているようですね。

 

この三共製菓は、浜松で大正時代から続いている

パンのメーカーだとのこと。

一番有名なのは、非常食の「カンパン」でしょう。

 

かんぱん→かにぱん

当初はパロディだったのかな。

 

ただ、たくさんの子ども向けパンがあったのですが、

ずっと売れ続けたのは、なぜか「かにぱん」だけ。

そこには大人にはわからない、

子どもが好むデザイン要素があったのでしょうね。

 

同時に時代に応じて、味を変え、売り方を変え……と、

大人に向けたマーケティング戦略を、

三共製菓は工夫してきました。

 

いまではSNSだったり、

YouTubeでの配信も行なっているとのこと。

 

なるほど、調べると

「かにぱんおねえさん」なる方が、

毎日のように発信をしています。

レシピなどもあったりして、

なかなか奥の深い世界になっていますね。

 

やはり50年売れたのには、

創意工夫しながら時代に対応してきた奮闘もあったようです。

これからのビジネスを学ぶ面でも

注目したい商品かもしれませんよ!

 

[効率無視の仕事術]

いま、リーダーにとって一番大切なことは何か?

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コロナ禍で多くの組織が普通に機能していないなか、

気づけばなんと9刷りになっていた……という、

驚きのリーダーシップ本があります。

 

それが

世界一ワクワクするリーダーの教科書

という本ですね。

居酒屋「てっぺん」の創業者であり、

現在は高校野球児のメンタルコーチとしても活躍している

大嶋啓介さんが著者。

2020年のはじめに、

きずな出版さんから発売されています。

 

でも、リモートワークが多くなり、

いままでのリーダーシップのスキルが

なかなか機能しなくなっている現在、

どうして本書が売れているのだろう?

 

じつは本書、リーダーシップのハウツーめいたことは

ほとんど述べていません。

それよりリーダーにとって大切なことは、

「たった1つだ」と述べているんです。

 

それは「ワクワクしている」こと。

 

なるほど、コロナになってから

世の中は閉塞感が増すばかり。

未来のことなど、

だんだんと想像できなくなってきました。

 

けれども、そんななかでも

チームの心をずっとつなぎとめているリーダーは、

「コロナが明けたら、こういうことをしようよ」

とか、

「ずっと考えていたんだけど、

この先、こんな事業をするのは面白くない?」とか。

 

ずっとトンネルの先にある

「ワクワクすること」ばかりに目を向け、

皆の気持ちを、

いまだに萎えていないのかもしれません。

確かに悲観的なことばかりだと、

やる気も落ちてきますものね。

 

そういえば国も最近になって、

ワクチンパスポートを使った経済再開の見通しを

出してきています。

 

賛否両論はありますが、

こういうワクワクする話がないと、

「自分の行動を制限するだけ損」になってきます。

 

身近に感染者がいない限り、

「脅しの言葉」には実感がわかない。

緊急事態の外出制限に応じる人が少なくなったのには、

守った先にある未来が見えないかったことも

理由にはあるのでしょう。

 

リーダーが前を見ているか、

後ろばかりを気にしているかによって

チーム全員にとって見える景色も変わってくる。

 

自分が皆に希望を与えられているか、

気になる方はぜひ、

本書を読んでみるといいと思いますよ!

 

[常識転換の読書術]

「武士道」を貫こうとした人生

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「武士道は『言葉』ではない」

 

そんなふうに自分の生き方を述べていた人物。

今から99年前の9月13日に、

明治天皇の後を追って自害しました。

 

日露戦争で活躍した、乃木希典将軍ですね。

その命日である今日は、

「乃木大将の日」となっているそうです。

 

旅順の要塞を攻め落とし、

後に乃木神社の神様にまでなっている乃木将軍。

ただし軍事における成果は、賛否両論でもあります。

 

補給がなかったこともありますが、

機関銃を備えた要塞へ玉砕覚悟の突撃を繰り返し、

最終的には消耗戦で勝ったものの、

多数の犠牲者を出すことになりました。

 

それでも長州藩所属の武士として

生まれた者としての信条だったのでしょう。

命を賭けてでも命じられたことは、

「実現させねばならぬ」と考えていたわけです。

 

同時に、そこまでの犠牲を出して捕らえた

ロシアの将軍に、

「恥を残すようなことをしてはならぬ」と

剣を取り上げなかったうえ、

写真を撮ることも禁止したとか。

 

こうした身をもって体現した「武士道」のあり方が、

よくも悪くも世界を恐れさせ、

また、尊敬させもしたわけです。

 

『武士道』を書いた

新渡戸稲造さんとは同世代ですが、

文化人であり、キリスト教徒でもあった新渡戸さんが、

国際社会に通用する

新しい時代に融合した「武士道」を模索したのに対し、

あくまで失われつつある武士の忠義を

最後まで貫いたのが乃木将軍なのでしょう。

 

必ずしもその行動が

同時代の人々に称賛されたわけではありませんが、

明治になって

いきなり世界の列強に名を連ねた日本の強さの背景には、

ストイックな生を貫いた人物がいたことを

忘れてはならないですね。

 

かたや現代の日本人は、

「緊急事態宣言」すら

無視するようになっていますが……。

まあほんの少しでも、

「みんなのため」に努力する武士道精神は、

学び直して取り戻したいとこですね。

 

[Words of Wisdom〜君はこの言葉を知っているか?]

20年で世界はどれくらい変わるのか?

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2021年の9月11日、あの「911」から

ちょうど20年の節目でしたね。

 

「その年に生まれた子どもが成人している」

なんてことを考えたら、

時が過ぎる速さには驚いてしまいます。

 

その当時、私はまだ会社員で、

朝早く出勤する毎日を送っていました。

だからリアルタイムでその日のことを覚えています。

 

「何が起こったんだ?」と

燃えているビルを朝のニュースを見ていたら、

そのとき2機目の旅客機がビルに突っ込みました。

「今、何か衝突したんだけど、あれ何?」

 

まさかこんな、リアルで大惨事を目撃するとは?

でも10年後には、

「311」の震災も起こってしまったわけです。

 

このときからメディアでは

「テロとの戦い」と呼ばれるようになりました。

ちょうどアフガニスタンから米国が撤退し、

タリバンが台頭した経緯がありますから、

「この20年に意味がなかったのでは?」

という報道もありますが、それには違和感があります。

 

というのも政治的背景はどうあれ、

テロというのは民間人を狙った犯罪行為であり、

普通の戦争とは違います。

だから人命を守るために防ぐ努力をするのは当然で、

「意味がない」というのは、

「人類の長い歴史の中で殺人も暴行も泥棒も

なくなってないから、これは放任しましょう」

と言っているようなものです。

 

ただ、考えてみたいのは

「20年」という月日ですよね。

 

2001年から2021年まで、

私はその間に、独立して作家になり、

事務所を立ち上げ、それを閉鎖し……と、

あげていったらキリがないほどの

紆余曲折を繰り返しました。

 

20年前から現在まで、

お付き合いのある方は本当に少数になってしまった。

それくらい20年で「人は変わる」のだと思います。

 

世界を見ても、イスラム諸国でさえ、

いくつかの国は、すでに「石油の国」から

「ビジネスの国」に様変わりしているわけです。

すでに世界的なイベントも行なわれるようになっているし、

数年後にはカタールでワールドカップも開催されます。

 

なのにまだまだ

「20年前」を引きずっているところもある。

足りないのは結局、

「どのようになりたいのか」という

ビジョンのようなものなのでしょう。

 

ビジョンを失ってしまうのは、

ようするに「恨み」であったり、「エゴ」であったりと、

目の前に立ち塞がっている問題にばかり

執着してしまうからか。

 

これからはもっと

「どういう未来をつくりたいのか」という視点で

人々が協力し合う体制づくりが

必要になってくるのかもしれませんね。

これはあらゆることに言えるのでしょう。

私たち、成長しなければいけませんね。

[公私混同の時間]