終戦記念日と平和のための祈り

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8月15日は終戦記念日であり、
16日は送り盆の日。

というわけで、画像はウォーキングがてら寄った
港区の天現寺。
ちゃんと私も手を合わせてきました。

今年で終戦からちょうど80年になりますが、
ギリギリ私の母親は、
生まれた頃に被っていたぐらい。
もう、戦争の記憶を継ぐ人間も少なくなっている。
あとは私たちが、
「どのように思いを継ぐか」という話になってきます。

じつは8月15日が終戦記念日になっているのは
日本くらいで、
世界では9月になってから
終戦記念日を迎えるところが多くなっているそうです。

なぜかといえば、
世界的にはまだ戦争は続いていたから……。

日本もまだ正式に降伏文書に調印していないし、
小競り合いは各地で起こっていた。
もっといえば、日本が支配していた
朝鮮半島やベトナムは、
その後もずっと安定した国が成立せず、
戦争が再発していくわけです。

第二次世界大戦では、
「日本だけが決して悪いわけではない」と
よく言われます。

これはその通りで、日本は列強諸国を見習って、
侵略戦争をしただけ。
虐殺をしなかったなんて思いませんが、
他国だって十分に非道なことをしているわけです。

ただ、どうしても戦争になると、
日本人はいつまでも
「国のために戦った人を悼む」ばかりで
「戦争全体で犠牲になった人」に
目を向けていない傾向があります。

別に日本に限った話ではないのですが、
これがお隣の国には気に入らないのでしょう。

それは仕方のないことかもしれない。
ただ、あのとき戦争で命を捨てる決心をした
特攻兵士たちは私たちに
「自分が犠牲になることで、
日本が平和を遂行できる国になってほしい」といった
遺書を残して散っています。

これは数多くの戦争参加国でも、日本だけの特殊な話。
私たちは先の戦争で、
死んでいった若き兵士たちに、
本当は大変な責任を課されているわけです。

だとしたら、もっと広い視野で世界を見て、
過去を悼むばかりでなく、
せめて今の世の中が平和であることを望んで
祈りを捧げるべきではないか?

少なくとも争いの火種を招くことは、
過去の人々が、もっとも嫌がることなのではないか。
そんなふうに思いますね。
あくまで個人的な思いですが……。

夏もいよいよ、後半戦です。
暑さに耐えてがんばりましょう!

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