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かつては今よりずっと先進的だった!? 日本人とIT

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10月23日は、「電信電話記念日」だとのこと。

この日に東京〜横浜間で、日本初の

「電信線架設工事」が始まったんですね。

 

その「電信線」は、

およそ30キロの距離に電柱593本を立てて、

東京駅の「通話所」と

横浜駅の「通話所」を結ぶというもの。

12月には最初の公衆電話が誕生しました。

 

交換手を介してですが、

5分でだいたい2000円くらいの料金だったそうです。

といって各家庭に

電話があるわけでもありませんから、

電信のほうがメーンだったのでしょうね。

 

とにかくこれで日本もヨーロッパに遅れながら、

電信や電話で情報伝達できる国に進化した。

そう思いきや、意外なことに

この最初の電信線ができたのは明治が始まってすぐで、

1969年のこと。

 

モールスが電信機を発明したのは1837年で、

じつはそれほど欧米諸国に

遅れをとっているわけではないんですね。

 

これだけスピーディだったのも、

じつは日本は、江戸時代の頃からすでに

電信技術の実験を始めていたんだそうです。

 

最初は電信機が発明されて、およそ10年後。

佐久間象山が逸早く設計図を手に入れ、

松代で通信を行なっていました。

 

その後も勝海舟などが欧米から技術を仕入れ、

日本で実用化する計画を幕末から立てていたようです。

 

なぜかといえば、

やはり通信技術の重要性を

大いに把握していたんでしょう。

 

情報通信に時間を要している国では、

強国に適うわけがない。

だからすぐにでも欧米に追いつかねばならないと

幕末の賢者たちは考えていた。

 

いまのようなデジタル化には思いが及ばないとしても、

電信や電話の技術が発達した未来において、

どんな国が優位に立っているかを

ちゃんと想像できていたわけですね。

 

それから150年くらいの歳月が流れ、

文明化した日本は

すっかりITの分野では後進国にも負けるような

国になってしまったのですが、

一体どうしちゃんだろうか(苦笑)?

 

幕末のことを考えれば、

スタートが遅れたわけでもないし、

日本人気質の問題でもないということは

知っておかなければですね。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

 

「紅蓮」は、確かに赤でなくてピンクだよね

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こちら画像は、

港区の「立行寺」というお寺。

徳川家康に仕えた

大久保彦左衛門のお墓がある場所として

知られています。

でも、ちょっと改装したのか。

その前を通って、ふと思います。

「こんなにここって、ピンクだったかな……」

 

東南アジアに行くと、

けっこうピンクのお寺があったりしますが、

日本ではここまでピンクの山門って

そう多くないですよね。

 

お寺の入り口をピンクにすることって、

何か意味があるのか?

ちょっと怪しいものを想像してしまいますが、

調べても明確なことはありません。

 

ただ、ピンクの色は、

そもそもの仏教では重要視されているようです。

どうしてかといえば、

「蓮の色」からなんですね。

 

仏教はその教えを「蓮花」として、

蓮の花にたとえています。

 

その蓮の花は、白、紅、青、黄と

4種類で定義しているのですが、

そのうち「紅」というのは「赤」というより、

ピンクに近い。

実際の花の色がそうですからね。

 

そして「ピンクの蓮」は

「紅蓮花(ぐれんげ)」といわれ、

「ブッダが人々を救済するシンボル」と

なっているそうです。

 

紅蓮花……なるほど、

「鬼滅の刃」はここに由来してたんですね。

真っ赤のイメージはありますが、

でもよく考えたらピンクだよねえ。

 

この「立行寺」の

大久保彦左衛門の墓の隣には、

伝説の人物、一心太助の墓もあります。

 

その実在は疑われていますが、

彦左衛門に幼いころから養われ、

その手足となって困った人々の救済に

尽くしたといいます。

 

そんなイメージが、

このお寺のピンクにつながっているのか。

いずれにしろ、暖かい感じはありますね。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

偉大な冒険者が名誉と汚名を築き上げた日

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10月12日は世界的な記念日、

「コロンブス・デー」と呼ばれます。

かのクリストファー・コロンブスが、

アメリカ大陸に到達した日なんですね。

 

時はいまから500年以上前の、1492年のこと。

最初に上陸したのは、カリブ海の

「サン・サルバドル島」でした。

 

でも、じつはこれほど各国で、

とらえられ方の違っている日もないかもしれません。

 

アメリカやヨーロッパのように、

偉大な冒険家が夢を叶えた

「希望の日」として祝うところもあれば、

中南米のいくつかの国は、

「略奪と侵略が始まった日」として

追悼式をするところもあります。

 

「民族が立ち上がった日」とする国もあれば、

「世界が広いことを知った日」

とする国もあるそうです。

それでもコロンブスがやってきた10月12日が、

歴史を大きく変えた日ととらえていることは

共通しているようですね。

 

その評価はマチマチですが、

成功者として語られる一方で

必ずしも幸福な人生でなかったのが

コロンブスさんです。

 

彼はジェノバ生まれのイタリア人。

商人として

大西洋からアジアに出る航路を開拓したいと、

大きな夢を抱きました。

 

ただ、当時のイタリアは、

ちょうどマキャベリの生きた時代です。

国家は分裂し、決して強くありません。

 

だから彼はスペインを動かしたんです。

イザベル女王を説得して、航海に出ました。

 

そして彼はアメリカ大陸を発見し、

これを最後まで「アジア」の一部と勘違いしていたのですが、

不幸なのはそこではありません。

 

商人として活躍したかった彼がたどりついたのは、

インドでも中国でも日本でもない。

ヨーロッパから見れば未開の文明で、

交易品などたかが知れています。

 

しかもスペインの世界進出は政治的で、

キリスト教とともに国の威光を広め、

ライバル国に負けない強国になることが理想です。

 

だからコロンブスは自身の成果を認めてもらうため、

暴力でもって現地を征服し、

これを植民地にしていく道に

どんどん踏み込んでいってしまうことになりました。

 

そういうことをやっていけば、

最後にはそりゃあ批判されることになります。

結局、彼は植民地の経営に失敗、

犯罪者扱いされ、

二度と冒険には出してもらえませんでした。

貧窮と失意のうえ病気になり、

50代でその人生を終えています。

 

これが歴史を翻弄し、歴史に翻弄された人の末路なのか。

彼の人生は、

「何を成し遂げたか」ではなく、

「何のために成し遂げるか」が大切だ、

ということを教えてくれますね。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

「動物の日」とキリスト教の偉大な聖人

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本日10月4日は、

「世界動物の日」なんだそうです。

動物たちを保護しよう……という日ですね。

 

動物好きの私には、とても素晴らしい日かも。

でも、一体どうしてかといえば、

聖フランチェスコさん、という方の記念日だから

ということだそうです。

どう関係しているのか?

日本ではあまりお馴染みでないですよね。

 

聖フランチェスコさんは、

「アッシジのフランチェスコ」とも呼ばれる、

非常に有名なキリスト教の聖人です。

 

12世紀〜13世紀を生き、

「聖フランチェスコ会(小さき兄弟団)」

という修道会を設立した方。

 

当時は十字軍も始まり、教皇や教会が

ヨーロッパで絶大な権力を握っていた頃。

民衆の苦しみをそっちのけで贅沢をする

聖職者たちに反発し、

フランチェスコは「清貧と禁欲」の教えを説き、

キリストに倣って、

ほとんど裸同然で暮らすような新教団を

設立します。

原点に帰ろう……としたわけですね。

 

しかし活動が公式に認められ、

全国から賛同者がやってくると、

この教団自体の力も大きくなります。

やがて「教会をつくろう」とか。

「蔵書を集めよう」なんて話になってくる。

 

「それは自分の考えたことではない!」と、

厳格だった彼は自分がつくった教団を離れ、

森の中で隠遁することにします。

 

そこでフランチェスコは、

人間のみでなく、

自然の中でさまざまな動物たちに

説教をしたと言われるわけです。

鳥たちが有名ですが、

ほかにもオオカミとか、ウサギや魚、

セミやコオロギまで……。

そんなふうに彼が動物たちを愛したことが、

自然保護の日にもつながったんですね。

 

10月3日が彼の命日ですが、

その後、体には

「十字架の印」が現れたと言われます。

 

いずれにしろ、彼の影響で

キリスト教からは

多くの修道会が派生していくことになりました。

日本に布教したイエズス会などが、その代表。

歴史に与えた影響は大きいものでした。

 

なお、知人である

音楽史の専門家、加藤浩子さんが、

「ONTOMO」というウェブマガジンで、

フランチェスコさんのことを書いていました。

こちらになります!

https://ontomo-mag.com/article/column/francesco-d-assisi-202104/

[仕事ができる人の歴史入門]

「誕生の神社」と「夫婦の木」

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こちら目黒駅の近くにある小さな神社。

「誕生八幡神社」にある

イチョウの大木。

「夫婦銀杏(いちょう)」

なんて呼ばれているそうです。

 

ほとんど境内もないような小さな神社ですが、

毎年、秋になると

人が大勢集まる、この神社。

何かといえば「目黒のさんま」ですね。

 

将軍、家光がこの地の民家で

さんまをご馳走になった……という

落語にちなんで提供されるようになった

「目黒のさんま」。

発端はこの神社での秋祭りでした。

毎年、東北のほうからさんまを仕入れて

焼いて出す屋台が出ていたと思います。

 

でも、じつはそんな江戸の歴史より、

ずっと古いのが、この神社です。

 

そもそも「誕生」八幡というのは

我が子の誕生を祝って

建設された神社。

 

誰が創建したかといえば、

かの太田道灌です。

15世紀に筑前の八幡様を

招いたつくったということですから、

「江戸」という町ができるずっと前に

この神社はできていたわけです。

 

そして、そのころからあったとされる

夫婦のイチョウ。

めでたく我が子が誕生した

夫婦の喜びを象徴したのでしょうか。

すると樹齢は500年以上なのか、

かなり年季の入った樹木だったんですね。

 

ちなみに室町時代に

関東一帯を任されていた上杉憲忠の部下だった

太田道灌(資長)。

当初は目黒川の河口辺りに

居を構えたといいます。

 

大崎から五反田、目黒という辺りは、

若き日の太田道灌にとって、

出世の地だったわけですね。

残念ながら江戸城をつくるにあたって、

道灌はここを放棄したそうです。

 

残念ながら、将軍の城にも皇居にもならず、

さんまの地になった目黒の地。

でも、イチョウはずっと、

その穏やかな歴史を見てきたのかも

しれませんね。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

世界中どこでも秋分の日

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9月23日は「秋分の日」でした。

 

いろんな日が「第3月曜日」などとずらされる中で、

この日がずれることはありません。

なぜかといえば、天文学的に決まっているからですね。

 

秋分の日と、秋分の日は、

夜の長さと昼の長さが同じになります。

ちょうど地球の地軸と太陽の位置が並行になり、

赤道上空を太陽が通る形になるから

……というのがその理由ですね。

それ以外の日だと傾きが出ますから、

「昼が多い側と夜が多い側」が必ず生まれるわけです。

 

(じつは正確に計算すると、

光の屈折率の関係などで、秋分でも若干、

昼が長くなるそうです)

 

ともあれ、地球的な現象ですから、

秋分は世界中で同じように起こります。

 

南極点と北極点の場所だけ、

太陽が地平線上をずっと移動することになりますから、

昼も夜もなくなるのですが、

それ以外はたいてい、

昼と夜が等しい長さになってくるわけです。

 

ところが天文学的に

「秋分」は古くから知られてきたものの、

これを特別な祭日に設定している国は

あまり存在しないようです。

 

日本は「お盆」を重視していたからですかね。

戦後、お彼岸の中日であるこの日を

「秋季皇霊祭」を行なう日とし、

先祖を敬う儀式をするように定めました。

そこから「秋分の日」が始まっているんですね。

 

ただ、日本だけが例外かといえば、

そんなこともありません。

太陽暦を採用し、

とりわけ暦を重視した古代の国には

秋分の日を特別視したところもあります。

画像はメキシコ、ユカタン半島に栄えた

「マヤ文明」の遺跡、

「チチェン・イッツァ」にある

ピラミッドです。

 

9世紀から10世紀くらいに

神殿として造られたものですが、

ここでは秋分の日になると、

「ククルカンの降臨現象」と

呼ばれるものが起こります。

 

「ククルカン」とは

翼のあるヘビの姿をした神様ですが、

そう見える影がゆっくりと

神殿を1周するように見えるんですね。

 

精密にそうなるよう、

計算して造られたのですが、

この日に合わせて生け贄を捧げるような儀式が

ずっと行なわれてきたのでしょう。

 

ともあれ、秋分をすぎれば、もう秋です。

感染症のお陰で春も夏もなかった今年ですが、

秋はせめて、楽しいシーズンに

なってほしいですね。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

「敬老の日」の起源

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今年は9月20日が「敬老の日」なんだとのこと。

緊急事態宣言下でついつい忘れてしまいますが、

連休だったのですね。

 

かつて9月15日だった同日も、

今は「9月の第3月曜日」となっています。

ただ、本当は9月20日のほうが

「敬老の日」に相応しかった……という話もあります。

というのもこの日は、

元正天皇が岐阜にある「養老の滝」を

訪ねた日にちなんでいるそうなんです。

 

「養老の滝」とはご存じの通り、

昔話に出てくる滝ですね。

「貧しい若者が年老いた父親へ水を汲んできたら、

水が美味しいお酒になっていた」

という話があります。

 

噂を聞いた元正天皇は、

はるばるこの地を行幸し、

「全国のお年寄りの方をいたわるように」という

お触れをだしました。

同時に元号まで「養老」と変えたそうです。

 

これが9月20日。

まあ、新暦では11月になるそうですが、

8世紀という昔に、

そんな福祉政策を重んじたリーダーがいらっしゃったのですね。

ちなみに元正天皇は女性の天皇でした。

 

ただ、現代になって、

この日を「敬老の日」にしよう

……という決断をしたのは、

兵庫県野間谷村の村長さんです。

 

この方、門脇政夫さん、という方ですが、

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」

ということから、1947年に

日本初の「敬老の日」をつくりました。

 

当然ながら当初は休日でもなんでもなく、

単に村で敬老会を行ない、

老人たちの知恵を集めた日……だったのですが、

やがてこのアイデアは兵庫県全体で取り入れられます。

 

そして戦後になり、

「国民の休日を増やそう」という動きのなか、

国で9月15日を「敬老の日」の

祝日にすることを決めたそうなんです。

 

つまり8世紀の天皇の思いつきが、

時を超え、時間をかけて地方から全国へ

広がったということか。

まさに昔の人のアイデアが、

いまの世の中に必要な発想であることは

十分にあるわけですね。

 

こちら、養老の滝です!

私が 訪ねたのはずいぶん昔のこと。

旅ができるようになったら、また行きたいものです。

 

[仕事ができる人の歴史入門]

「ツェッペリン」が大空を飛んだ時代

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今から92年前の8月29日、

世界を驚かせた技術が開発されました。

それが画像、「飛行船」ですね。

ドイツのツェッペリン伯爵が設計した

「硬式飛行船」という巨大な「空を飛ぶ船」。

「グラーフ・ツェッペリン」というのが、

その機体の名でしたが、

世界1周の飛行に成功したんですね。

 

すでに飛行機は開発されていましたが、

庶民の乗り物にはなるまでではない。

ツェッペリン伯の飛行船事業は大人気となり、

「グラーフ・ツェッペリン」は

ヨーロッパとアメリカを結ぶ、空の連絡路となります。

 

設計も安全性が高く、じつはほぼ無事故で

1930年代の「空の時代」を生み出しているんですね。

 

ところが運悪かったのは、ドイツにおいて

ヒットラーのナチスが台頭したことです。

 

当時、飛行船会社を創業した

ツェッペリン伯爵は世になく、

パイロットだったフーゴー・エッケナーさんが、

その意志を継ぎ、社長に就任しています。

 

彼らの理想は、あくまで世界をつなぐ、

安全な航空便をつくること。

これを軍事利用したかったナチスとは、

真っ向から対立することになったんですね。

 

結果、ナチスは強引に、

ツェッペリン社の事業を国有化します。

 

けれどもナチスの運営には問題もあり、

1937年には「ヒンデンブルク号」の大爆発事故が起こります。

飛行船の安全性は失われました。

 

やがて戦争が始まり、

飛行船は偵察用などに使われたものの、的にはなりやすい。

だんだんとその用途は、

飛行機に置き換わっていったんですね。

 

でも、本当は「安全第一」で、

「のんびり空を旅しながら平和な世界を体感する乗り物」

として生まれた飛行船、

ツェッペリンさん、エッケナーさんは、

最後まで自分たちの方針を貫き、事故も起こしませんでした。

 

水素車がこれから出てくるんだったら、

どこかで飛行船も復活しないですかね。

乗ってみたいとは心から思います。

 

☆今回の記事、飛行船に詳しい

ユーザーからの指摘をツイッターでいただき、

修正しています。

ありがたいですね。

 

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「山の民」を世界がどう守っていくか?

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画像の青い石、その昔、

古代エジプトの歴史を学んだ人間には、けっこう馴染み深い。

「ラピスラズリ」ですね。

日本語では「瑠璃」と呼ばれる石に含められます。

 

モーゼが神から授かった「十戒」も、

「この石に掘られたのではないか」

という説があります。

それくらいエジプトやメソポタミアの古代国家では、

神聖視された石でした。

 

その産地が、いま世界的な問題を引き起こしています。

これが「アフガニスタン」なんですね。

 

希少な石がとれる場所。

どこの国も自分の支配下に置きたい。

さらに交通の要所ということもあり、

古代文明の時代から、

一貫して大国が奪い合う地であり続けました。

 

実際、この国の歴史をずっと見ていけば、

だいたい時代によって

「インドの王朝」か「イランの王朝」の

「どっちに属しているか?」

という話でしかありません。

 

それだけ果てしなく繰り返される

他国の侵略戦争の犠牲になってきたわけですね。

 

そもそも「アフガン」とは、「山」。

住んでいるのは「山の民」で、

世界の他の場所のように、

「生きるためには国を作るべきだ」なんていう

概念がありません。

 

それでもアジア大陸をモンゴル人が席巻し、

それを継いだ「ムガール帝国」という

インドのイスラム教国家が崩壊した18世紀〜19世紀に

一種の空白時代ができます。

 

そのときに、

「私たち山の民も国をつくろうよ!」と

生まれたのが現在の

「アフガニスタン」であるわけです。

 

ただ、すぐこの国は

帝国主義を掲げたイギリスに支配され、

大戦後はソ連とアメリカが奪い合い。

両者が戦いに疲れたころに、

復讐心に燃える「タリバン」のような

原理主義グループがはびこることになりました。

 

ようするに、そもそもは

世界のルールから外れた空白地帯。

そこに外部から、いろんな野望が持ち込まれるから

何千年もの間、おかしくなっているわけです。

 

だとしたら、おかしくした当事者たちが責任をもって、

「この地を皆で守っていこうよ」と取り決めるしかない。

さんざん荒らしたあげく、

「あとは勝手にやってね」では、どうしようもありません。

 

貴重な世界的遺産も実際は多い場所。

いつか行きたいとも思います。

平和的な解決を望みますね。本当に。

 

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オリンピックの年の終戦記念日に

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8月15日は、

76回目になる終戦記念日でした。

今年もコロナのため、縮小されたのは残念ですが、

追悼と平和のためのイベントは各地で行なわれたようです。

 

考えてみれば、つい先日まで、

私たちの国は

「現在、世界平和を実現するための1つの試み」

として4年ごとに行なわれている

オリンピックを終えたばかりでした。

 

2回目になる「難民団」の代表が、

今年も29人、11カ国で参加したり。

 

世界史的には、そもそも

「戦争を引き起こしたダークサイド側の1人」に属する我が国の

広島にある原爆ドームを、国連に属するIOCが公式弔問したりと、

画期的なことは結構ありました。

 

ただ、コロナ禍でオリンピックをすることへの批判や、

IOC会長の個人的な奇行によって、

その意義が薄れてしまったのは、

ちょっと残念でしたね。

 

第2次大戦によって亡くなった方というのは、

どんぶり勘定ですが、推定で

世界6500万人〜9000万人と言われます。

 

それに対し、現在、猛威を奮っている

コロナウィルスによる死者は、

世界で累計450〜500万人。

 

これだけの世界的危機を引き起こしたコロナですら、

「戦争」に比べれば、まだまだ小者。

そのパワーは、20分の1くらいに留まってしまうわけです。

 

しかも76年経った現在でも、

二次大戦後の東西冷戦によって

分断された痛みをずっと引きずっている

アフガニスタンで、今日に政変が起こったとか。

タリバン政権ができたもようで、

戦争がまた、

度重なる戦争を引き起こしているわけです。

ちょっとこの先が心配です。

 

「そんな他国のことより、

いま、自分たちに差し迫っている問題のほうが

ずっと大切だろう!」

 

そう言いたくなる気持ちはわかります。

 

でも、じつはこの

「他国より自分たちが助かるのが先でしょ」

の思考が、結局のところ

戦争を引き起こしているわけです。

 

そう76年前は、世界の人々が総じて

「自分たち優先」の決断をした。

結果、現在のコロナの20倍という

犠牲者が生まれました。

 

私たちは、効果は不明にしろ、

そんな過去を繰り返さないために

継続されるイベントを

強引にでも「やる」という選択をした国に

いま世界ではなっています。

 

そのことはこの終戦記念日に、

ちゃんと国民が認識しているべきだろうな

とは思いますね。

 

こちら今回オリンピックの難民代表団。

メダルがなくても、

素晴らしいメッセージを世界に発信しました!

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