
「やまとうたは、
人の心を種として、
よろづの言の葉とぞなれりける」
こちら平安時代の編纂された
紀貫之による「古今和歌集」の序文ですが、
この「言の葉」という言い方が、
「言葉」の元になったと言われます。
じつは5月18日は、語呂合わせの
5(ご)+10(とう)+8(は)で、
言葉の日なのだと。
それはいいのですが、大きな疑問がわきますよね。
それは、なぜ「葉っぱ」なの?
……ということです。
紀貫之さんの文章も、
よく意味がわかりません。
人の心をタネとした和歌は、
いったいどういう葉っぱになるというのか?
「ワード」と何が違うのか?
この「言の葉」は、
一体、何を表しているのでしょう。
じつはいろいろ説があって、
1つは「事(こと)の端(は)」
という意味です。
つまり、「物事の断片」ということ。
私たちは何かの事象を
「言葉」として表現することで、
それを「断片的な情報」として認識し、
記録することができる。
でも、それなら「端」でよかったと思うのですが、
「葉」は個々の木によって異なり、
そのものの個性を区別する存在となっている。
つまり、サクラの葉っぱが、
イチョウを象徴しないのと同様に、
サクラという「言葉」が
イチョウを意味することは決してない。
なるほど哲学で言うところの、
「イデア」のような概念ですが、
そこで「葉っぱ」という文字が
使われるようになったのではという
説もあるそうなんですね。
だとしたら、いかに古代の日本人が
言葉に重きをおいていたかがわかりますね。
私たちも言葉を大切にして
磨きをかけていかないと……。
なんとなくビートルズの
この曲を思い出しました。
「言葉は降り止まない雨のように
ペーパーカップへ注がれていく。
溢れ出た言葉は、通りを這って流れ、
そのまま宇宙を超えていく……」
(Across The Universe)