「目には目を」の文化

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イランが打ち返す。
互いに打ち合った後、和平が結ばれたけど、
最後はイスラエルが撃っている。

じゃあ、和平は決めたけど、
イスラエルで終わっているのは、
公平じゃないよねと、
イランはどうしても「目には目」の部分を撃ってしまう。

それでまた、たとえば一発だけ
イランが多かったりしたら、
「公平にしないといけないよね」
イスラエルは一発を撃って合わせないと
気が済まないわけです。

これがキリスト教であれば、
「打たれた頬を差し出しなさい」と、
ある種、「損して得をとる」みたいな
発想を受け入れます。

仏教にもさまざまな考え方がありますが、
長い輪廻転生の中で、最後は辻褄が合うから、
まあ「仕方ないよね」で、理不尽を受け入れる。

ちなみに「武士道」でもゆるされた「仇討ち」は、
復讐の意味でなく、名誉回復のため。
だから「目には目で返していい相手」も
制限されていました。
主君のためでないと成立しないんですね。

これに対して、長い間ずっと
民族の賭け引きを繰り返してきた
イスラエルやイランでは、
「今は負けておく」という発想をすると、
ときには致命的でさえあったのかもしれない。
混乱が多かった地域で、
長く苦難を耐えてきたうえでの考え方でもあるわけです。

だから、この地域を丸くおさめるには、
そんな互いの感情を理解し、
互いに納得した上で
ことを終わらせる必要があるのでしょう。

とにかく早く
安定した世界になってくれることを期待します!

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