今年もまた『武士道』を思い出す季節

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難航している仕事に追われ、
なかなか桜を見に行く機会をつくれないのですが、
横浜市もピークになってきましたね。

画像は、今の住居の氏神様、
「驚神社」の桜ですね。

あいにく天気が悪いのですが、
そのぶん、霧がかった山道の階段までは
桜のアーチが覆い、
非常に神秘的な風景になっていました。

歩いて見るのみの「お花見」には、
最高の場所かもしれませんね。

あらためて毎年、紹介するこちらの言葉。
「武士道は、我が国の桜と同じものです」

新渡戸稲造さん『武士道』の第1章、
オープニングですね。

どうして「桜=武士道」なのか?

それは、わざわざ桜を見に行くまでもない。
春になれば、私たちはどこでも
桜が咲いている光景を目にします。

たとえずっと家に閉じこもっていたとしても、
窓を見れば、この時期、
枠に花びらが付いていたりする。
家に帰り、上着を見れば、見た記憶がなくても、
桜の花びらがくっついている。

そして何より「香り」ですよね。
いつでもどこでも、
私たちは桜の香りを思い出すことができる。
記憶から一生懸命に消そうとしたって、
日本人であれば、潜在意識の奥底のどこかに
桜のイメージを携えているとは、
海外に長く住んだ彼の経験によるものです。

そして「武士道」も、同じものではないかと
新渡戸さんは考えた……。

「武士道」が日本人独特の価値観で、
困難に直面したときや、
何かを覚悟をもって行なわねばならないとき、
私たちはいつでも
潜在意識の奥底にある「武士道」を
桜のイメージのように引き出すことができる……。

だからこそ私たちは、
桜を愛するように、武士道的な精神もまた、
愛さなくてはならない。

「義」に反する行動をとっていないか。
長いものに巻かれ、自身の信念に背いていないか。
嘘をつき、欲望にほだされ、卑怯で、
傲慢な人間になっていないか。

あらためてお天道さまの見ている前で、
人間に劣ることは己で自制する。
「武士道」の精神に立ち返っていきたいですね。

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