【本の紹介】いまの「戦争」は、果たして「戦争」なのだろうか?

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夏川が読んだ本の紹介ですが、
かなりボリュームのある本です。

戦争の変遷
(マーチン・ファン・クレフェルト著、原書房)
というもの。

内容はタイトル通り、戦争についての歴史ですが、
「なんで人間は戦争を続けるだろう」と
現状の世界を見れば思います。

でも、本書を読んで知れるのは、
その昔と現在で、「戦争」の意味は
大きく変わっているということです。

どう変わっているかといえば、
人類の歴史を通じて生まれてきた「戦争」とは、
本来は「プロのお仕事」であり、
一定のルールに則って行なわれた
正しい支配者を決める争奪戦だったということです。

だから戦士とか、騎士とか、武士とか、
戦うのは戦闘職の人たちで、
民衆は蚊帳の外でした。
その地を収めるお殿様が決まったら、
その人に従えばいい……という感じですね。
正直、どっちが勝っても、
「私には関係ない」ということが多かったんです。

もちろん、たまにルールを逸脱して、
民衆を攻撃する人もいました。
大河ドラマでも出てきましたね。
農村を焼いたり、非戦闘員の船の船頭に矢を放った
源義経が典型ですが、
そういう人は最後にはバッシングされたんです。

意外と「正義のルール」が適用されていた……というのも、
戦争は「支配者を決める戦い」でしたから。
被支配者に嫌われる戦い方は、基本マイナスだったんです。

で、そうした基本ルールに従って
「戦うこと=格好いい」の文化を
人類はつくりあげていきます。

「武士道」とか「騎士道」などの
精神もこの延長ですし、
どこの国歌も「国のために戦う誇り」を歌っている。
正義の味方といえば、みんな戦うんです。
敵と交渉し、説得するだけですべてを解決するヒーローは、
あまり見たことがありません。

ところが近代以降、戦争は明らかに
「かつてのプロの戦い」を越えた、
全国民同士の殺し合いになります。

理由はいろいろあります。
フランス革命以後、
「国民参加」という概念が広く生まれたこともあるし、
身分制から自由経済の時代になったこともある。
剣から銃に武器が移行し、
誰でもが戦争に参加できるようになったこともある。

それによって戦争が「支配の正当性を争うもの」から、
単なる殺戮や略奪に変わってしまったのですが、
にもかかわらず、
かつてに「正当性のために戦っている」という
理屈だけが成立している。
それが世界に大きな矛盾を起こしている
……ということなんですね。

なるほどロシアなどはその典型かもしれません。
現代的な戦争を続けることが、
どれくらいマイナスになるかが
過去のルールに縛られると見えなくなる。
これは暴力全般に言えることなのかもしれませんね。
本書は今の世界を知る、格好の本かもしれませ!

ところで、勘のいい人は表紙から察するかも。
私が今、どんな仕事に挑んでいるのか……。

ひょっとしたら自分のキャリア史上、
最も難解な仕事かもしれない。
でも、「難しくて読めない」とされた有名な古典を
なんとか現代に届けることができるかもですね。
今、言えるのはそれだけ(笑)

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