誰が将棋を始めたのか?〜江戸のエンターテイメント

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11月17日は、「将棋の日」だったそうです。
江戸時代に「御前対局」という
いわば「将棋王決定戦」のようなものが
将軍を前にして正式に始まったことが
きっかけだそうですね。

この決定戦がなかなか凄いのですが、
当時は大きな家元が4つあり、
それぞれ最強の棋士を代表者として選手し、
どこが強いかを争うものです。
全試合数が536といいますから、
相当何度も戦ったのでしょうね。

今の藤井名人ではありませんが、
かつては19連覇という記録を成し遂げた
本因坊秀策さんという天才棋士がいたそうです。
最初に優勝したのが20歳の頃といいますから、
聡太さんに通ずるものがあります。

この大会を始めたのが、
自身も将棋が大好きだった将軍、徳川吉宗でした。

江戸のエンターテイメントといえば、
やはりこの人。
江戸の町に桜をたくさん飢えて、
お花見を庶民化させたり、
象を連れてきてはじめて「動物園」をつくったり。

「暴れん坊」だったかどうかは知りませんが、
この人は現代にまでつながる
エンターテイメント企画を次々と
治世の時代に立ち上げています。

一方で武士にも庶民にも
倹約をうったえていましたから、
我慢と発散のバランスが大事なことを
よくわかっていたのでしょうね。

現在の「将棋」は、
そんなふうに江戸時代になってから
体系化されたものが多いそうです。

逆にそれ以前の将棋には、いろんな形があり、
明確なルールも定まっていなかったらしい。

もともと将棋というのは、
西洋のチェスと期限が同じで、
エジプトとかメソポタミアで駒が発見されますから、
そっちが起源では? と言われていました。

でも、「日本将棋連盟」のHPを見ると、
最近になって起源がわかり、
インドで生まれた「チャトランガ」というのが
一番のオリジナルだそうです。
画像のように4人でやるんですね。
ちょっとルールを知って遊んでみたいものだ。

これが西洋に行ってチェスになり、
東洋に行って将棋になった。

日本へは東南アジアから中国を経由して
遣唐使が伝えたそうですが、
この伝播の結果、いろんなバージョンの将棋が
世界中に存在しているんですね。

要するに古今東西、人間はみんな
「ゲーム」が大好きだということです。
素直に認めなければいけません。

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