「博多明太子」の仕事術

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

こちらは福岡県に旅行に行っていた
妹家族が送ってくれた博多明太子。
「海千」というブランドのものですね。

小さく切ってあって、食べやすい。
さすがに美味しいですよね。
ご飯に乗っけてもオーケー。
焼いたバゲットに乗せても美味しくいただけました。

福岡といえば、やはり明太子。
といって私は福岡に
ほとんど行ったことすらないのですが、
毎日食べても大丈夫そう。

でも、誤解される人も多いのですが、
福岡の海でタラが漁れるわけではありません。
寒いところの魚ですからね。

だから原料にも北方のものを使うのですが、
これがどうして博多名物になっているのか?

それは博多の地にて、
川原俊夫さんという方が
最初にこの明太子を売り出した方です。
有名な「ふくや」さんの創業者ですね。

そのオリジナルは、朝鮮半島にあったそうです。
タラコを唐辛子などの香辛料に漬けたものですが、
古くから朝鮮半島にあった食べ物らしい。

明治時代、日本はその韓国を支配し、
併合するのですが、
その際に半島へ渡り、商売をしたのが
川原さんの一族です。

その間、俊夫さんは現地で学校へ通い、
同じ入植者と結婚した。
その間ずっと漬けたタラコは、お馴染みの味でした。

ところが第二次大戦が終わり、
日本は占領地の朝鮮半島を出ていくことになります。
川原俊夫さんも出身地の福岡に戻りました。

でも、なんだか朝鮮半島で食べていた、
あのタラコの味が忘れられない……。

そこで日本の原料を使って、味を再現。
できるだけ日本人好みの味に改良し、
これを「博多明太子」として売り出したんですね。

それで、この明太子は大ヒットしたのか?

じつは、あまり売れなかった……そうなんです。
なんせ当時、タラコを使うと、
どうしても原料費が高くなり、高級品になってしまう。
戦後すぐの世の中で、そう贅沢できる人が
数多くいるわけもありません。

それでも粘り強く、この明太子を売り続けた
「ふくや」さん。
これがおよそ20年後の、
高度成長期になって大人気なったんですね。
1964年の「新幹線開通」が大きかったのでしょう。

あきらめずに地味でも売り続けてきたから、
私たちはこの味を楽しめる。
感謝しないといけませんね。

関連記事

ページ上部へ戻る