天下をとった人間の最期の言葉

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「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」

夜明け方に、自分が天下をとった嬉しい夢を見た。
「ああ、夢か」と思いきや、
いやいや、よく考えたら、
自分は実際に天下をとっていたんだなぁ……。
嬉しい気持ちのまま、もう一眠りさせてもらうよ。

そうやって逝った、天下の統一者。
何だか幸せそうでいいな……と思うのですが、
こちらは徳川家康の「辞世の句」と
されているものの一首です。

4月17日は、家康の命日とされる日。
といっても旧暦のことで、
新暦では6月1日になるそうですが、
それでも旧暦に日に合わせて
日光東照宮や静岡の久能山では
祭礼行事が行なわれるそうです。

まあ、家康といえば、
今年の大河ドラマの主人公でもあります。
通常は「したたかさ」の強調される人物ですが、
この1年でイメージはかなり変わるのかもしれませんね。

ただ75歳で亡くなった家康。
自分の死後のことは周到に準備していました。

画像は日光のお墓ですが、
静岡や江戸の増上寺など、
「墓所」とされる場所が分散されていることも
その1つ。

信長、秀吉という先例を見てきたからでしょうが、
自分の死後の政権を揺るぎなきものにするため、
自己を象徴として神格化する準備を
生前からずっと計画していたわけです。

危険な人物はできるだけ江戸から切り離し、
大名には経済負担を与え続けるシステムを作る。
その上で競わせるように、
彼らに江戸城や江戸の街を強化させる。

日本全国の要所は抑え、
的確に信頼できる家臣たちの藩を全国に配置。
その上で危険な人間は、どんどん排除していく。

それをしながら、自分は質素な食事を続け、
できる限り長生きするよう
健康維持に努めたわけです。

これほど「役割」に徹した人間は、
なかなかいなかったのではないかと思います。

信長、秀吉と比べ、家康が勝っていたのは、
苦渋をなめ続けたぶん、
人の弱さをよく知っていたことでしょう。

だから弱い自分でも、
あるいはそれよりさらに弱い後継者でも、
維持できるシステムを構築しようとした。

ベンチャーを目指す人間にとって、
一番大切なのは「信長の思考」かもしれませんが、
その会社を永続させるには
やはり「家康の思考」は欠かせないものであるのが
確かでしょう。

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