人類と「戦争」の長い歴史

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今日はこのゴールデンウィーク中に、
私が読んでいる本の紹介。

こちら400ページを超える分量と、テーマの重さから、
少し買ってから読むのが空いてしまいました。
クラウゼヴィッツの『戦争論』を現代語訳してから、
自分の研究テーマにもなっていること。

『東大生が教える「戦争超全史」』
(東大かルペ・ディエム著、ダイヤモンド社)
という本。

ありそうでなかった戦史の入門書……かと思いきや、
あまり「戦略や戦術の発展」とか、
「技術的や戦争に対する考え方の変化」には触れていません。

多くは「長い歴史の中でこんな戦争がありました」という羅列で、
どちらかといえば
「忘れていた世界史の復習」といった本になっていますね。
よくも悪くも「教科書」」という感じの本。
それはそれで役に立つものかもしれません。

この本を読むと、よくも人類はこれだけ長い歴史の中で、
戦争ばかりを繰り返してきたな……と、
少し呆れた気持ちにもなります。

ただ、政治史で歴史をとらえれば、
どうしてもそういう切り口にはなってしまう。
というのも、
「王朝や政権の交代」には争いごとが付き物ですし、
特に近世以前において、
この世界で政治的な力を持ってきた奴らの仕事は、
おおむね「戦うこと」であったわけです。
ヨーロッパの貴族や騎士しかり、日本の武士しかりですね。

ただ、そいつらは人類全体から見ればほんの一部で、
庶民たちにとっては「税金を収める相手」が
しょっちゅう代わるだけだったところもあるわけです。

ですから社会や文化全体の変化を見ない限り、
人類全体の歴史をとらられない
……ということも、私たちは知らなければいけませんね。

そんな流れで「世界史と戦争」を見れば、
押さえなければならない事象が2点あります。

1つは『戦争論』でも述べられている「フランス革命」で、
このときから戦争が「王たち支配者のもの」でなく、
「民衆の自己実現のためのもの」になったということ。

つまり、今までは王様やらお殿様が勝手に戦っていたのですが、
このときから戦争は民衆の自己責任にもなりました。
戦って自由が勝ち取れるぶん、
死を覚悟する必要も出てくる。
だから「戦争の規模」は、この時代から大きく拡大しています。
犠牲もものすごく増えたということですね。

もう1つは「産業革命」で、
このときから戦争は
「ビジネスにもなった」ということですね。

今でもアフリカの国の戦争を見れば、
ともに兵器はロシア製だったりする。
要するに両方の国で、
「これでたくさん、相手をやっつけられまっせ」と
戦いを煽って儲けている人たちがいるということ。
そうやってたくさん破壊し、破壊されて、
次々と売っていかないと
武器のビジネスなんて成り立たないのですが、
これを日本で推奨しようとしている人たちは、
そういうことを見越して言っているのだろうか?

それは兵器の問題だけでなく、
弱体化する国と強くなる国を見越し、
うまく投資で稼いできた資本家が
世界の経済をリードしてきた面もあるわけです。

戦争をなくすには、そうした構造も理解する必要がある。
歴史には考えるべきことが、たくさんあります。

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