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日本に「パン」がやってきた日
- 2025/4/13
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昨日の4月12日は、
「パンの日」だったそうです。
そのきっかけは、江戸時代にさかのぼります。
天保13年、1842年の旧暦4月12日、
第12代徳川家慶が将軍を務める時代でしたが、
この日に日本で初めて
「パン」が焼かれたのだそうです。
その歴史を踏まえ、
昭和になってから、パンの普及協会が
記念日に定めたとのこと。
でも、一体このパン、どんなパンだったのか?
これは現代でいう「乾パン」。
軍用の「兵糧パン」として
西洋ではお馴染みだったものです。
ペリーが浦賀によってきて、
日本に開国を迫ったのは1853年。
ですから日本はまだ鎖国中ですが、
そんななかで「パン」を知っていたのはすごい。
この中心になったのは、
伊豆韮山で代官をしていた軍学者、
江川英龍(ひでたつ)という人物です。
なんせイギリスやフランスなど
欧米の列強国がアジアに進出していた時代です。
幕府はその情報を唯一の欧米取引国だった
オランダから得ていました。
蘭学を学んだ江川さんは、
「天保の改革」を行なった水野忠邦の名を受け、
西洋の近代砲術を日本に取り入れる
先導役となったわけです。
そんな折、1840年に
中国でアヘン戦争が起こります。
あの巨大な清国が、欧米諸国によって
いいようにされてしまった。
このままでは日本も危ない……。
高杉晋作らの討幕派が動き出すきっかけになりましたが、
幕府も欧米との戦争が起こる危険性は
十分に察した。
それで兵糧を蓄えるため、
幕府の命によって国の備蓄としての
「乾パン」の製造が始まったんですね。
今、「備蓄米」が話題になっていますが、
江戸幕府もちゃんと、こうした備えを行ない。
しかも「パン」まで備えた。
やることはちゃんと、やっていたわけです。
ちなみに、このとき作られたパンは、
近年なって復刻されたとのこと。
「パン祖のパン」として、
現在も購入できるそうです。
ちなみに画像は、私が朝食に食べているパン。
毎朝、ハムとレタスとチーズと
食パン1枚の決まった食事ですが、
いろんな味付けで焼き方を変えたりして食べる。
意外と、いろんな味が楽しめて飽きないのは、
パンの魅力ですよね。