長嶋茂雄さんと祖父の思い出

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「あれほどいい三振もなかった。
あれほど生きた三振というのもなかった。

こちらは長嶋茂雄さんの言葉。
先日の6月3日に、
89歳でこの世を去ってしまいました。
心からお悔やみ申し上げます。

三振についての言葉は、
『徹子の部屋』の追悼特集で述べていました。

長嶋さんの最初の試合は、
まさに金田投手によって、4打席連続三振。
ついでに監督してデビューした年も、
球団史上初の最下位。

常に最低の状況から始めているんですね。

でも、持ち前のポジティブ精神と、
根気強さで常に問題を乗り越えてきた。
「決してネバーギブアップしません」
なんて
意味不明の言葉を残していますが(笑)
そんな方だったから、
野球と関係のない大勢の方に愛されていたんですね。

じつは先日、親戚の叔父さんの
葬儀に行った話をしました。
そのとき、親戚の叔父さん、叔母さん、
みんなに驚かれた話があります。

それは、皆さんにとっての父親。
私には祖父になりますが、
その方に連れられ、私は子供の頃、
当時は後楽園球場でやっていた
巨人戦に行ったことがあるんです。

長嶋さんも王さんも、まだ現役の頃、
しかも私はバックネット裏で、
その姿を間近に見ているんですね。

お爺ちゃんは、私が中学の頃に亡くなっています。
富山に住んでいる方で、私は東京にいるから、
あまり接触した記憶はありません。
子供の頃の記憶しかないので、
正直どんな人かは、よくわかっていない……。

それで皆さんが驚いたのは、
お爺さんは厳しい方で、しかも人嫌い。
息子たちとも娘たちとも、
一緒に出かけるなんてことは、
ほとんどない方だったそうなんです。

「へえ、あのお父さんがねえ……。
お前は初孫だし、愛されたんだね」
「怖くなかった。会話とかしたの?」
「そういえば巨人戦をテレビで見ていたかな。
長嶋さんのことを言っていた気がする」

おそらくお爺ちゃんは、
東京に出るという機会に、
長嶋さんを見ようと、いいチケットを入手し、
「孫にも見せてやろう」と
楽しみにしていたんでしょうね。

それだけの価値がある野球選手と、
長嶋さんを認識していたのでしょう。
私にはいい思い出になりました。

長嶋さんが引退したのが、
私には幼稚園とか小学校の時期。
それでも子供の頃は、
お菓子のおまけとか、おもちゃとか、
長嶋さんのグッズに囲まれていた気がします。

素晴らしい時代をつくってくださったことに
本当に感謝しないとですね。

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