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母なるカムチャッカ
- 2025/7/31
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1日中、津波に翻弄された1日になりました。
振り返ってみれば、多くの地域では、
30センチとか20センチという
通常であれば大したことのない波が
押し寄せただけ……だったのですが、
それでもシチュエーションによっては
災害をもたらす可能性があるとのこと。
それが北海道から沖縄まで、
日本の太平洋側の
あらゆる海に押し寄せたのですから、
それだけカムチャッカ半島で起こる地震は、
私たちにとって「遠くで起こること」では
ないわけです。
実際、1952年には、
マグネチュード9の
「カムチャッカ地震」が起こっているとか。
このとき千島列島では
10メートルを超す津波が起こったそうですが、
日本の各地にも1メートルを超す津波が到来し、
漁業に大きな被害をもたらしました。
なんでもカムチャッカ沖は、
「太平洋プレート」が「北アメリカプレート」に
潜り込んでいる海域で、
北には千島海溝、南には日本海溝があります。
当然ながら歴史上でも
巨大な地震がたびたび起こり、
日本にも被害を与えてきました。
地図を見れば、北方四島の延長線上に
つながっているように
カムチャッカ半島は位置しています。
とはいえご存知の通り、
この地はロシアに取り上げられていて、
なかなか自由に行き来できない。
だから私たち、その先の土地までに
意識がなかなかいきませんが、
地形上は日本と繋がっているところなんだと、
今回、思い知らされたような気もします。
知床から国後島を見た思い出がありますが、
そのずっと先に
カムチャッカは連なっているわけですものね。
調べると、カムチャッカをロシアが占領したのは、
1706年のことだとか。
日本の松前藩は、その前からアイヌ人を通し、
カムチャッカに住む先住民と公益を続け、
1700年には地図も作成しています。
ウクライナとロシアの戦争は、
私たちをこの地域からも遠ざけていますが、
日本人が決して無視することはできないことを
認識しておきましょう。
画像はカムチャッカにある、
クロノツキー湖とクロノツキー山です。