なぜ江戸っ子は天ぷらを愛したのか?

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見るからに美味しそうな画像、
先日に溝の口の丸井にある
フードコートで食べたものですね。

完全にはみ出している穴子とエビの
すごいボリュームですが、
意外に1000円をちょっと超える程度で
リーゾナブルでした。

天ぷらは庶民の食べ物なのか、高級品なのか。
あるいは日本料理なのか、それとも洋食なのか。
定義は難しいのですが、
そもそもは西洋からの伝来品で、
庶民が安く、魚介類を食べるための
工夫だったようです。

よく知られているように、
天ぷらはもともと、
戦国時代に宣教師たちが伝えた
スペインやポルトガルの料理。
「テンペロ」というのが語源のようですね。

でも、そんな宣教師のまかない料理が、
どんなふうにして日本料理化したのか。
キリスト教が禁止された世になって、
天ぷらだけが広まったのは不思議ですよね。

じつは「宣教師の知恵」だったテンペロが、
庶民に広まったのは江戸時代になってから。
徳川時代に平和期になったことが
理由のようです。

平和期になったことで、江戸には日本各地から
移住者がやってきます。

一方で「江戸前」と呼ばれるくらい、
そもそもの江戸は海産物に恵まれていたのですが、
いかんせん冷蔵施設のない時代です。
すぐに食材は悪くなってしまうし、
誰もが寿司を食べれるわけではありません。

でも、揚げてしまえば、
生臭くなった魚介類だって
美味しく食べられるだろう……と。
誰かがこの「天ぷら」を思いついたんですね。

そこで完全に庶民向け、
屋台を出し、ごま油で魚などを揚げて
庶民に出す店が、江戸で流行ったのだそうです。

なるほどそれならエビやアナゴなどは、
当時からの人気メニューだったかもしれませんね。

逆に屋台が天ぷらの定番で、
店舗が多くできていったのは幕末以降のこと。
江戸から全国化することで、
野菜も天ぷらにするように
なっていったのだそうです。

なるほど、新しい料理法にプラスした
自慢の食材。
日本人はその昔から、
アイデアの転換に優れていたことがうかがえます。

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