加藤清正と朝鮮の王子

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

画像は私の地元、
よく紹介している覚林寺……ですが、
加藤清正を祀っていることから
「清正公」と呼ばれている場所になります。
ちゃんと初詣をしてきました!

江戸時代に開山したお寺ですが、
創建したのは日本人ではありません。
李氏朝鮮から連れて来られた王族の子、
日延さん、というお坊さんが
開山したと言われます。

なぜ彼がお坊さんになり、
ここにお寺を作ることになったのか。

加藤清正で朝鮮半島といえば、
思い出されるのは、秀吉の朝鮮出兵です。

日本はこの時代、
中国や朝鮮半島にまで領土を拡張しようと、
戦争をしかけました。
結果的には大惨敗することになるわけです。

この際、李氏朝鮮の王子で
長兄だった臨海君は、
日本に協力した朝鮮の反乱分子に囚われます。
そのまま彼らは秀吉軍のリーダーの1人だった
加藤清正に引き渡されました。

清正は彼らを丁重に扱い、
交渉に利用するんですね。

最終的には解放された王子。
ただ、彼は性格が荒く、
たびたび問題を起こしていました。
なので父王は
理性的な弟を後継に推しており、
やがて後継者争いが起こりそうな
雰囲気ではあったんです。

経緯はよくわかりませんが、
清正は心配したのでしょうか、
王子の子であった日延を、
預かって日本に連れていくことにします。

国が安定し、落ち着いたら、
あるいは帰すつもりだったのかもしれませんね。

ところが目論見通りにはいかず、
秀吉軍は撤退し、
やがて秀吉の死によって出兵も断念。

李氏朝鮮は弟王が継ぎますが、
兄の王子は最終的に暗殺されます。
日本はやがて家康の時代となり、
この弟王とは、2度と戦争をしない。
友好条約を結ぶわけです。

すると兄の子だった日延の立場は微妙です。
現王にとっては、謀殺した兄の形見ですから、
反乱分子にもなりうる存在。
友好を結んだ家康に頼んで、
殺してしまってもおかしくない。

これを守ったのが、
おそらくは清正だったのでしょう。
彼自身も家康の時代、
長く生きられませんでしたが、
その間に日延を保護し、
彼は日蓮宗の僧侶になることによって、
争うつもりがないことをアピールした。

それでも僧侶として尊敬を集め、
港区のこのお寺は、
400年くらいの間、
民衆の支持を集めているわけです。

鎖国をしていた日本ですが、
こんなふうに日本で活躍し、
その道を拓いた方もいた。
私たちが知っておきたい歴史だと思います。

関連記事

ページ上部へ戻る