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日本が誇れる「浅草寺」の秘密
- 2025/12/19
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昨日は「賢者の会」の集まりを紹介しましたが、
私はその1時間半くらい前に浅草へ出て、
久々に「浅草寺参り」をしてきました。

で、こちらが「仲見世通り」から見た
「仁王門」ですが、
人がいっぱいで、ほとんど前に進めない
……なんてことはない(苦笑)
満杯の5割から7割くらいだろうか。
平日だったこともあり、
いらっしゃるのはほとんど
外国人観光客の方ですが、
人はそれほど多くないような……。
仲見世通りはゆっくり歩ける感じでしたね。
中国の方が少なくなっている影響が
あるのでしょうか。
いずれも世界から人が集まる浅草寺ですが、
その起源って、ご存知でしょうか?
東京で最も古いお寺とされる浅草寺ですが、
できたのは推古天皇の頃の7世紀。
当時は辺境以外の何ものでもなかった東京で、
隅田川の漁師が、
観音像を引き上げたのが始まりと言われます。
どこから流れたついたのか……と
不思議な話ではありますが、
そんなふうに元から、
庶民たちの力で生まれた寺院だったんですね。
ほそぼそと生きながらえていたお寺を
今の巨大なお寺にしたのは、徳川家康です。
江戸を大都市にするため、
庶民が集う宗教的な中心地としては、
まさに格好の施設だったわけです。
で、思うのは、そんなふうに
「庶民たちの力で生まれた施設」で、
世界中の観光客を集めているところって、
じつはそんなにないのではないか?
まさに江戸時代、長く戦争もなく、
庶民文化が280年くらい発展した
日本ながらの歴史の賜物ですが、
そんな施設に世界から人が集まっていることを
他ならぬ日本人が忘れてはいけないのではないか。
この浅草寺も、じつは大戦の最中、
東京大空襲によってほぼ消失しています。
同時に多数の犠牲者も出た。
そこで浅草寺には、個人の投資を経て
じつは目立つ場所に慰霊と平和祈願のため
「平和地蔵尊」というお地蔵さんが
目立つ場所に設置されています。
ここが世界的な観光地になっていることを、
さぞお地蔵さんは喜んでいるのだろうな
……と思うのですが、
いつまでもそんな観光地であってほしいなとは、
なんとなく思いますね。
どこの国がどうとかは関係なく、
大勢の方はここで、
平和と繁栄を願えればいいのではないか。




