[歴史入門]その日、日本の「考古学」が始まった

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今から145年前の6月19日、
アメリカから横浜の港につき、
新橋へ向かう汽車に乗っていた人物がいます。

東大でこれから始める生物学の講義、
つい最近まで刀を下げていたこの国の人々は、
果たしてついてこれるのだろうか……?

そんなことを考えながら、ぼんやり窓の外を見ると、
彼は地層が露出しているのに気づいたのです。
よく見ると地層は、たくさんの貝を含んでいます。

「これは驚いた!」

すぐに彼は明治政府に依頼をして
3ヶ月後には発掘調査が開始されます。

彼の名は、エドワード・S・モース。
発見したのは「大森貝塚」ですね。
このとき日本における
「考古学」と呼ばれるものが始まりました。

新参者でありながら、なんとも物おじしない積極性!
そんなふうにして歴史研究者ではなく、
アメリカの動物学者が日本考古学を始めたんですね。
(古代史研究は江戸時代から行なわれていましたが)

彼は発見した土器
「cord marked pottery」と命名し、
これが訳して「縄文土器」となりました。
つまり英語からのネーミングだったんです。

それで「縄文土器がつくられた時代」を
縄文時代と呼ぶようになったわけです。

実は日本人が考える以上に、
この「大森貝塚」の調査は
海外でも注目されていました。

モースさんの調査報告は「Nature」誌に掲載され
あのダーウィンが推薦文も書いています。

そしてモースさんは報告で、
ショッキングなことも言っていたんです。

「縄文時代の人々には、人間を食する習慣があった!」

貝塚から人骨が出土したからの推測ですね。

その後、日本の調査で、
人骨は埋葬されたものであったことが証明されています。
といって、食人が完全に否定されたわけではありません。
その検証は難しいですからね。

じつは大森貝塚は
「品川区」と「大田区」に分かれ、
どちらがオリジナルだったかは長く論争になっていました。

今は品川区のほうが、モースの発掘した場所だったと
証明されているんですね。

いずれにしろ、日本人の歴史にとっては
重要な日になりました!

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