『戦争論』が教える、「最悪」を乗り切る教訓

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私が現代語訳した古典、
超約版・戦争論』が発売になりました!
(ウエッジ、本体1100円)

1500ページの大著をおよそ180ページに圧縮した本書ですが、
「わかりやすく」「簡単に」「手っ取り早く」と、
かなり力ワザで編集した本と説明しました。

にしても、この「戦争論」。
実際にどのくらい戦争を鋭く考察しているのか?

本書のオビには、
「ウクライナ戦争で再注目!」とあります。
でも、クラウゼヴィッツが本書を執筆した19世紀は、
核兵器はもちろん、
戦車や飛行機すらなかった時代です。

そんな時代の理屈が、
果たして21世紀の戦争に合致するのでしょうか?

そこでいくつか、本書の言葉を
ウクライナの戦争に当てはめてみましょう。

●「戦争とは、規模を大きくした
『ケンカ』以外のなにものでもない」

ロシアがほとんど一方的に始めた今回の戦争。
でも、戦争は始まってしまえば、
「殴り合い」以外のなにものでもありません。

●「人はいくらでも知性による判断を排除せずして、
物理的な暴力を行使することができる。
だから戦争において、流血を厭わずに行使できる側は、
それができない側に対して容易く優位に立ってしまうだろう」

だから恐ろしい虐殺ですら、
戦争に対しては「手段の1つ」になってしまう。
やられてからでは遅い。
ですから弱い側は、極力、戦争を避けるのが第一になります。

でも、実際に始まってしまった戦争。
するとウクライナのような弱い側は、
一方的に不利になるだけなのか?
必ずしも『戦争論』は、そう説きません。

●「防御する側は攻撃する側よりも、
常に優位な条件を活用することができる」

今回、ウクライナは、ほぼ国境を超えて
ロシアには踏み込んでいません。
あくまで「自国を守る」という有利な条件を生かして、
相手側の戦力を削ぐ戦いに徹しています。

●「現実の世界では、戦争はまったく法則通りに運ばない。
たとえば抵抗する戦力を十分に残しながら
講和を結ぶケースなど、いくらでもある」

●「戦争は、決して
政治的な交渉と切り離されるべきではない。
政治の手段として戦争を考えることは、
戦争が戦争以外のなにものでもなく、
敵対感情を剥き出しにして殺し合うようになった場合ですら、
決して忘れてはならないものだ」

防御戦を繰り返しながら、ウクライナがやっているのは、
世界の世論を味方につけること。
実際、各国の支援をバックに戦うウクライナに対し、
国内の反戦感情も出てきたロシアは、
ここに来て押され気味になっています。

●「戦争において入手できる多くの情報は、
互いに矛盾している。
それ以上に、多くの情報は間違っているし、
最も多くの部分は不正確である」

そしてウクライナが徹底した情報を制する戦い。

●「この世の大多数の人間は、
やはり勇敢なうえで慎重なのでなく、
ほとんど臆病なゆえに慎重になってしまうのだ。
もし双方の指揮官の能力が同じ程度であれば、
勇敢さが招く災害よりも、
臆病さが招く災害のほうがはるかに大きい」

最終的にはウクライナ人の粘り強さ。
国民をつねに勇気づける大統領の存在も大きくなっていますね。

こんなふうに、この21世紀の戦争でも、
クラウゼヴィッツの理論は、
見事に状況に一致しているわけです。

実際にゼレンスキー大統領が
本書を読んでいるかは知りませんが、
苦しい戦争を乗り切るための知恵として
活用できることは明らかでしょう。

ぜひ、今回、手に取っていただければです!

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