翻訳の仕事の面白さ

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「聖書の言葉の誤りを指摘すれば、曲解者と呼ばれ、
誤りを黙認すれば、虚偽の流布者としてののしられる」

とてもよくわかる、この言葉の重み。
古典を翻訳する仕事の難しさを語ったもの。
皆がわかるように訳さなければ意味はない、
けれども、
意訳すると著者の意向を捻じ曲げることになる。

後世の人に間違った訳を伝えず、
それでいて後世の読者に原書を愛してもらうよう
最大限の敬意をもって原書にこもった思いを
今の読者に届けられるか?

この辺が古典を翻訳する仕事の醍醐味であり、
面白さなんですね。
この言葉を述べているのは、
4世紀〜5世紀という昔を生きた神学者、
ヒエロニムスという方です。

その生涯はほとんど砂漠の修道院にこもり、
自著を執筆しながら、
ユダヤ人のヘブライ語や古代のアラム語で書かれた聖書を
当時使用されていたラテン語に翻訳する作業に
没頭しました。
30代から50代に至る
20年の間をひたすら、その作業に捧げたんですね。

9月30日は彼の命日にちなみ
世界的に「翻訳の日」とされているそうです。

一体どうしてそこまでの労力を、
自己主張のためでなく
翻訳という一種地味な仕事に
注ぐことができたのか?

とくに古典の現代語訳などをすれば
よくわかるんです。
過去の偉大な仕事を、
できるだけたくさんの現代の人に伝えることの意義……。

過去の天才たちの言葉をかりて、
自分はその代言者になれる。
過去と未来をつなぐことで
歴史貢献をしたような気持ちになれるんです。

自分では決してできないことを実現できる喜びが、
そこにはある。
だから私も、可能な限り古典の仕事には
かからわせていただいています。

とくにヒエロニムスさんの時代は、
ゲルマン人の侵入によって、
ローマが崩壊しつつある混乱の時代でした。

だから彼はなんとしても、
「現代語訳」を成し遂げることで
多くの人にキリストや同時代の聖人たちの言葉を
伝えたかったわけです。
それを自分の使命としたわけです。

そんな思いを少なからずもって行なわれる
「翻訳」とか「現代語訳」の仕事。
ぜひ日本語訳の本を読み際は、
著者だけでなく、
訳者への敬意も感じていただければと思います!

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