家康の平和思想と貞観政要

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日曜日の大河ドラマ『どうする家康』で、
いよいよ物語の山場の1つ。
家康の正妻、瀬名夫人(そう呼ばれていたかは本当は不明)が、
命を絶つ場面が描かれました。
まあ、悲しい場面でしたね……。

通常、家康を裏切って武田氏に内通し、
息子の信康を立てようとした
「悪女」として描かれることの多い夫人です。
それが今回のドラマでは一貫して、
可愛らしい素敵な“いい娘”を
有村架純さんが演じていました。

「一体どうするんだろう……?」と思っていたら、
平和外交に失敗し、責任をとって、自死したという
ストーリーなんですね。
それ、死ぬ必要あったのだろうか?

ともあれ、この瀬名夫人と
息子・信康の実質的な処刑。
明確な理由は、実のところいまだにわかっていません。
夫人、家康、信康、信長……と、
誰を悪人にするかによって、さまざまな解釈があるようです。
悪く描かれるのは、
家康や後継者の秀忠を産んだ第二夫人を持ち上げることが
理由にあるのでしょう。

でも、はっきりしていることは、
家康がこの事件をきっかけに
「戦国の世の統一」を目指して、
大きく動き始めたことのようです。

そもそもドラマで瀬名夫人が目指していた「戦の終焉」を、
当時、最も大きく掲げていたのは、
他ならぬ信長でした。
諸国の大名に向け、争いをやめて
将軍や朝廷の下に集結することを
呼びかけていたわけです。

家康は妻を処刑したのち、
最初は信長につき、次に秀吉につき、
「戦国時代を終わらすこと」を最優先に
奮闘し始めました。

この考え方の背景に、
どれだけ奥さんの思想が関わったのかはわかりません。
ただ1つ、若い頃から心にあったのは、まず
厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」
という思想。

「穢れた世の中を離れ、清浄な仏の国を打ち立てる」
という浄土宗の教えですが
今川氏の下で信長と戦ったとき、
家康はこの言葉に出会ったとされます。

そしてもう1つ、「関ヶ原の戦い」の前に、
わざわざ儒学者を招き、
部下たちに講義までしてもらった本があります。

それが唐の皇帝の平和思想
私が現代語訳している
貞観政要』だったんですね。

民衆の安全を第一に考え、敵にも寛容になる
この徹底的な友愛思想……。
そう言いながら以後、
家康側は敵に冷酷な対処をし続けるのですが、
戦いの中にも「平和を目指そう」という意欲は
ずっと持っていたわけです。

結果的には、家康のおかげで、
長期的な平和は実現しました。

大勢の人が願いながらも、そうはならなかった。
でも、決して不可能なことではないのは、
現代の争いにも言えることなのでしょう。

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