賢者の言葉17 成功者の孤独

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「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速(なにわ)のことも 夢のまた夢」

こちらは豊臣秀吉の辞世の句。
全国統一を成し遂げながら、
その人生は露のようなもの、
夢のようなもの……と。

なんとも悲しい言葉ではありますが。
8月18日は秀吉が亡くなった日。
「太閤忌」と言われているそうです。
ちなみに新暦に直すと9月で、
祭礼はそっちに合わせることが多いそうです。

秀吉の晩年……といえば、
淀君との間にできた秀頼を過剰に保護し、
盟友の千利休や甥の秀次を切腹させたりと、
蛮行が目立っています。

じつは1598年に死去する前段階でも、
奇行や意味不明の発言が目立ったり、
たびたび失禁もしたり……と、
かなり悲惨な健康状態ではあったようです。

つまりは認知症が出てきていた可能性がありそう
……ですが、
秀吉さんの死亡年齢というのは62歳なんです。
16世紀のころとはいえ、
まだ通常であれば「若い」ですよね。

だから癌のほか、
「梅毒」のような脳に障害が出る病を疑う説もあるし、
毒殺を疑う説もあります。
なるほど敵は当然ながら多かったでしょう。

そうしたことが死因だった可能性も、
もちろんあります。

でも、心の病と考えるのはどうでしょう?
65歳からの孤独を楽しむ練習
という本を書いている
浜松医科大学の高田明和先生によると、
高齢になって「うつ」を患うことがきっかけで、
認知症へ移行してしまう人が
現代は多くなっているそうです。

それはまさに、歳を重ねてから
人生目標や信頼できる人間関係を失うことからの
喪失感や孤独感が影響しているのですが、
秀吉は果たしてどうだったでしょうか?

明るい性格に描かれることの多い秀吉ですが、
絶えず周りの人間に気を遣い、
先手、先手と常に手を打ってきた策略家で、
細かい神経の持ち主とされます。

劣等感もあり、コンプレックスもあり、
心配性で、人を疑ってばかりいた。
ポジティブな性格だったとは、とても言えません。

だからこそ戦国の覇者にもなれたのでしょうが、
その分、ストレスも多く感じてきたのでしょう。
だから晩年に「やるべきこと」をやり尽くし、
信頼できる人が周りにいなくなったときの
孤独感は大きかったのかもしれない……。

メンタルの弱さが、最終的には自分の寿命を
縮めてしまった可能性もありそうです。

頂点を目指すのはもちろん大切、
一方で私たちは、
「自分がちゃんと幸福感を得ているか」を
確認していかないといけませんね。

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