伝説の「金王」って誰?

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今日は渋谷に来たおり、
ちょうど通りがかったので、
久しぶりにこちらの場所に来ました。

渋谷の南口付近にある神社ですが、
のぼりには「鎮座930年」とあります。
とてつもない古さですが、
「金王八幡宮」ですね。

じつはこの地には、「渋谷城」という
お城があったそうです。
八幡宮の境内には、
城に使用されたとされる石も残っています。

ここに城を構え、八幡宮も創建したのは、
平安時代の末期から源氏に仕えた
渋谷重家(河崎基家)という人。

八幡太郎と称された武将、
源義家にあやかって、
城内に八幡宮を創建したんですね。

つまり、渋谷にあったから
「渋谷城」なのではありません。
渋谷氏が城を築いたから、
この地が「渋谷」と
呼ばれるようになったわけです。

まさか渋谷さんも
900年以上の歳月を経て、
自分の城下町がここまで発展するとは
夢にも思わなかったのではないか?

そんな渋谷氏の痕跡が残る金王八幡宮ですが、
「金王」というのは、
重家の息子である
「渋谷常光」という人。

この人、金剛夜叉明王の力をまとって
「金王丸」を名乗り、
さらに出家して
「土佐坊昌俊」と呼ばれるようになった、
少し神がかった武将です。

昌俊は源頼朝に仕え、
彼が京にいる弟の義経を討つことになったとき、
真っ先にこの最強の武士を攻撃する役に
名乗りを上げました。

その結果、彼は義経軍に捕まり
斬首されてしまうんですね。

渋谷城の八幡宮は、彼の死を悼み、
17際のとき自分の肩身として作った木像を
今も祀っているそうです。
だから「金王八幡」と
呼ばれるようになったんですね。

そんなかつての武将の奮闘があって、
今の渋谷の町が存在しているわけです。
折があったら、
ぜひお参りしてあげてくださいませ。

でも、意外と境内では、
若い人がお参りをしていましたね。
今はオフィス街の中にあって、
なかなかの憩いの場になっているらしい……・

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