ジョン・レノンの日〜望みさえすれば、対立は終わる

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12月8日というのは、
毎年のように私はブログで書いているかもしれない。
「ジョン・レノンの日」ですね。

1980年の12月8日、まだ彼は40歳でしたが、
ニューヨークのアパート前で、
狂信的なファンの銃撃によって命を落としました。
生きていれば83歳ですね。
まだ歌っていたかもしれない……。

とはいえ、今年は、
歌声を頻繁に聴く機会がありました。

1つはビートルズ最後の新曲ですね。
ボーカルはジョンの生前のテープを元に
AIによって再現されました。
画像はその「Now And Then」が入っている
「青盤より」に使用されている写真です。

もう1つは、戦争の影響ですね。
楽しいことではありませんが、
戦争が起こるたびに、反戦メッセージとして、
ジョン・レノンの歌はよく使われます。

戦争とジョン・レノンといえば、
まず出発点にビートルズ解散間近の1969年に発表した
『Give Peace A Chance(平和を我らに)』
という曲があります。

この曲は、ジョンが平和運動にのめり込む
きっかけになった、
オノ・ヨーコさんと作った曲とされ、
のちに2人で作ったアルバムも発表しています。

ところがこの反戦ソング、最初のクレジットでは、
作詞作曲が
「レノン&マッカートニー」となっているんですね。
つまりビートルズ時代の曲と同様、
ポール・マッカートニーとの共作にしているんです。

「手違いだ」なんて話もありますが、ジョンは、
「勝手にソロにしたのではポールに申し訳ないと思った」
なんていう発言もしています。

でも、当時、解散は避けられない状況になっていたし、
ほとんどケンカしているのも同然になっていたのでは
なかったのか……。

このクレジットのおかげで、
のちにポール・マッカートニーは、自分のコンサートでも、
この曲を歌うようになっています。

そこであらためて
「Give Peace A Chance」の歌詞を見れば、
その意味は
「平和に対して機会を与えなさい」ということ。

なんたら主義、なんたら思想……と、曲では
さまざまな考え方が羅列されるのですが、
「そうでなく、我々が望むのは、
平和について考える機会を持つことだ……」と
メッセージは繰り返されます。

その2年後、有名な
「Happy Christmas」で歌われたのは、
「戦争は終わる。私たちが望めば」ということでした。

つまり、ジョン・レノンは一貫して、
政府や社会に反戦を抗議するのでなく、
まずは「私たちが平和を望もうよ」と
繰り返しているわけです。

何十年も経った現在も、この曲が普遍なのは、
まさに他者に任せるのでなく、
自分たちの内側に問いかける曲だからなのでしょう。

そんなジョン・レノンの心情には、
なんだかんだ言いながらも、
対立を起こしているのは自分たちの心なんだ……と、
理解している面があったのかもしれません。
彼が40歳で亡くなったのは、本当に残念なことでしたね。

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