無理に「終わる」必要も、「続ける」必要もない

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土曜日の夜、「今日はやるんだな」と
ニュースのあとで、
『プラタモリ』を観ていました。

タモリさんは好きですし、
私も旅行が好きで、
歴史だとか地理だとかも大好きな人間です。
毎回、楽しみにしていて、
今回も「ああ、指宿って、
そんなに凄いところなんだ〜」と、喜んでみていた。

だいたい井上陽水さんの曲は最後まで聞かず、
そのまま仕事部屋に戻ってしまうから
気づかったのですが、
ネットのニュースで知りました。
「今日が最終回でした!」

「ええ〜っ!」とビックリして、
NHKの番組ページを見ると、
確かに「最終回だったこと」が告知されています。

にしても、それらしい演出はまったくなく。
番組は普通どおり。
それで9年くらい続いた番組が、
あっさり終了するんだなと、唖然としましたね。

でも、よくHPを読むと、
「いったん区切りをつける」とか
「今後も検討を続ける」とあります。

そもそもはタモリさんの気まぐれでやっている、
「ブラ歩き」を
気まぐれに番組にしたようなもの。
「9年続いた」とは言いましたが、
その日の放送があるのかないのかも、
新聞を見なければわからないような、
あまりにも自由な番組でした。

終わる理由は、さすがに80歳になるタモリさんも
体力的にきついのか。
あるいは視聴率的な問題なのか、わかりません。
だいたい9年もやっていれば、
「まだ歩いていないところ」を探すほうが
難しくなりますものね。

でも、だから「最終回」になるわけではない。
やりたくなったら、
気まぐれに1、2度放映してもいいし。
疲れたらまた、休憩すればいい。

そんな感じで「絶対続けるぞ!」ではなく、
「やりたくなったらやる」くらいにしておくのも、
長く続けるコツではないかという気がします。

そう考えると、私の主催する「賢者の会」も、
今はそんなふうになっているか……?

まあ、実は会をそんな扱いにしたいわけではなく、
毎月のようにできたらいいとは思うのですが、
条件が整っていないのに、無理やり続けると、
どんなことも苦痛になってしまう。

いまの時代に、こんな続け方も、
採用していいのかもしれませんね。

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