なぜ勝負事に威力を発揮するのか? 清正公の秘密!

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こちらは先日、
地元、清正公のお祭りを紹介した際にも
取り上げました。

覚林寺で、5月4、5日の大祭のときに
売られる「勝守」ですね。

よく見ると、何には「菖蒲」の葉が、
そのまま入っています。
なるほど、これでは通年に売ることは、
結構、難しそう。

しかもこのお守り、加藤清正にゆかりのある、
いくつかのお寺でしか扱っていないとのこと。
だから清正公のお祭りには、
はるか遠方から、
このお守りを買うためにいらっしゃる人も
いるのだそうですね。

でも、その効果って、何なのだろう?

「菖蒲」というのは、ゴールデンウィーク中に
菖蒲湯に入った方もいらっしゃるでしょう。

薬湯効果とともに、「勝負」にかけて、
端午の節句の際に、
運気を上げるために入るもの。

一方で加藤清正といえば、
勝負にこだわった武勇で知られる武将でした。
だから5月に行なわれる「お祭り」で
「菖蒲」のイメージが採用されたのでしょう。

とはいえ清正は、秀吉に育てられ、
熊本にお城を構えた武将だったんです。
関ヶ原では家康方に付くものの、
江戸幕府ができて早々に亡くなり、
家も取り潰されてしまいました。
徳川方による暗殺説もあります。

歴史上は「敗者」のような扱いですが、
「勝利を祈願する武将」としては、
不適切なのではないか?

これが逆なんだそうですね。

加藤清正は地元でも民からの人気が高く、
築城のエキスパートでもあったので、
江戸の街づくりにもずいぶん力を尽くしました。

その一方で、日蓮宗の熱心な信者で、
江戸でもたくさんのお寺に寄進をしたり、
建築にも貢献しています。
だから江戸町民にも、
かなり人気があったそうなんですね。

暗殺されたとしたら、
この人気に幕府が恐怖したから……でしょうが、
逆に不幸な死を迎えたぶん、
「彼はこのままでは終わらないぞ」という
信仰が出来上がった。

いわゆる「祟り神」のような感じですが、
実際、「清正が起こした奇跡」なんていうのも
結構あったんだそうです。
皇居にある清正ゆかりの「枯れない泉」も
その1つですね。

つまり「清正公」は、神様的な存在になり、
死んでもなお、人々に武運を与え続けた。
それが「お寺」で行なわれるのも不思議ですが、
ならば効果があるのもうなづけます。

この、お守りは今年、
受験シーズンを迎える甥に送ってあげました!

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