
「愛おしいこの国よ。
この国の質素な習慣と、
飾り気のないおおらかな人々を私は称賛する」
「神よ、この国の幸福な情景は、
まもなく終わりを続けてしまうのか?
私たち西洋人は、この国に大いなる悪徳を
持ち込もうとしているのではないか?」
こちら幕末の日本に、アメリカの領事、
タウンゼント・ハリスの通訳として
日本にやってきたオランダ人、
ヘンリー・ヒュースケンさんの言葉です。
画像は港区にある「光林寺」というお寺ですが、
実は、なぜかここに
ヒュースケンさんのお墓があります。
このヒュースケンさんは28歳という若さで、
江戸で殺害されてしまいました。
殺害者は薩摩の攘夷派で、
麻布にあった米国公使館へ帰る途中の
出来事でした。
彼がお寺に埋葬されたのは、
日本を深く愛したからでしょうか。
ヒュースケンは貴重な「日本記」も残しているのですが、
貧しいアムステルダムの生まれ。
21歳のときに単身、アメリカへ渡り、
通訳の仕事にありついたわけです。
西洋諸国ではオランダとだけ貿易をしていた江戸幕府。
蘭学者として、オランダ語を話せる人間はいた。
そこでアメリカ人に採用されたんですね。
当初は「日本人が恐かった」というヒュースケンさんですが、
彼が持ち前の明るさで多くの日本人と友好を築き、
サムライたちとすぐ仲良くなります。
同時に幕府が世話役としてつけた遊女、
「お福さん」も愛し、
夫婦同然の関係となっていたわけです。
まあ、20代の若さですしね。
彼女は15歳だったそうです。
ところが、そんな日本贔屓があったからか、
つい油断して命を落とすことになってしまった。
ただ、短い時間でも、
このサムライの国を故郷と感じていたのか。
幕府はオランダの母親に謝罪金を出したそうですが、
アメリカでもオランダでもなく、
お墓は日本につくられたんですね。
日本風の墓石に十字架が刻まれた墓になっています。
11月11日は、ポッキーやらチンアナゴやら、
いろんな日になぞらえていますが、
「士」(=十一)から、
サムライの日にもなっています。
かつてサムライを愛し、
若くして散った西洋人がいたことを
記憶していたいですね。




