テニアン1944

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画像の美しい島は、日本のはるか南。
マリアナ諸島にあり面積100平方キロの
「テニアン島」。

今から81年前の8月2日に、
太平洋戦争における
悲劇的な戦闘があった場所です。
7月24日から続いた
「テニアンの戦い」ですね。

海軍と陸軍を合わせて
8500人が駐屯し、基地にしていたテニアン島。
この島に上陸したアメリカ兵は、
5万4000人といいます。

そもそも勝ち目のなかった防衛戦だったのですが、
日本軍は玉砕覚悟で先頭を続け、
角田司令長官など多くの将校が、
最後は自決する道を選びました。

一方でこの島には、
女性や高齢者を含めた
1万5700人の民間人が
入植していたそうです。

日本の他の地域と同様、
「いざというときは、
お国のために命を捧げなさい」というのが、
建前ではありました。

多くの民間人には
その覚悟もあったと言いますが、
角田司令官は彼らに、
「生き残ってください」と
お願いしたのだそうです。

「皆さんは本当によくやってくださいました」
「だからこそ、玉砕などせず、生きてください」

結果、1万2000人〜3000人の人間が
島の中で避難し、
最終的にはアメリカ軍に収容され、
戦後も命をつなぐことができているんですね

ほぼ95パーセントの兵士が亡くなった地で、
助かった民間人は、同じくらいの割合。

むろん、中には自決した人々もいたのですが、
誰もが死ぬことを強要されたような
日本の末期的な状況。
それでも勇気をもって
こんな冷静な決断をした将校が
ちゃんと日本にも存在していたんですね。

テニアン島には米国の飛行場が整備され、
その後、B29がここから飛び立ち、
本土への空襲をするようになりました。

その意味でも日本人が記憶にとどめ、
決して忘れてはならない島ですね。

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