「仲見世」が生まれた理由

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12月27日は、
浅草の「仲見世」の記念日なのだそうです。

ちょうど10日くらい前、
「賢者の会」の忘年会で、
私は訪れていました。
舟和の芋羊羹も買いましたね。

画像は「ちょっと人は少ないかな」という
最近の仲見世通り。
上は「宝蔵門」ですね。
それでも、いろんな言語に
遭遇することができます。

「仲見世」は江戸に幕府が開かれた
17世紀から存在する
「日本最古の商店街」とされますが、
明治維新のとき、政府に没収されます。

これが明治18年に
改めてリニューアルオープン。
その日が12月27日で記念日となっているそうです。

残念ながらその38年後、
ほとんどのお店は関東大震災で
壊滅してしまっています。
今あるのは再建されてからのお店になります。

でも、そもそもの発端で、
どうして浅草寺の
「雷門」から入ったメーンストリートに
最古の商店街は生まれたのだろう?

江戸が江戸になるずっと前から、
民衆たちの信者が多く集まるお寺として
繁栄してきたのが「浅草寺」です。

その起源は飛鳥時代の7世紀にまで、
遡りますね。

ただ徳川家が幕府を開き、
江戸が日本の中心になると、
各地から大量の移住者が押し寄せます。

当然ながら浅草寺に参拝する人も増え、
境内がとても汚れてしまう事態が
起こったのだそうです。

そこで浅草寺は地元の商人たちに
清掃を頼むことになるのですが、
その代わりにここでの営業許可を
与えるんですね。

これが「仲見世」の起源になりました。

それから江戸を代表する商業通りとして、
今と同じように人を集めてきたのですが、
有名なのは「二十軒茶屋」と呼ばれる
水茶屋の並び。

ようは「カフェ」みたいなものですが、
看板娘が話題になったりと、
こぞって江戸の「通」たちが
やってくるようになったそうです。

かの喜多川歌麿も、
その看板娘の絵を描き、
蔦屋重三郎がそれを商品化して
大量に売っていました。

一種の文化先進地でも
あったわけですね。
今の国際化も当然なのかもです!

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