師のためなら、虎だって倒す!

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「死出の旅 迷はでゆかむ 大王の
おましを先に たのみと思へば」

これから死へと旅立つけれども、
先に待っている大王を頼りにすれば
何も迷うことなどないさ……。

「大王」というのは、
今年は大河ドラマでも描かれている
豊臣秀吉のこと。

こちらの歌は、その秀吉に仕えた武将、
加藤清正の辞世の句ですね。

1611年の6月24日、
(新暦では8月2日)
49歳の若さで彼は亡くなったとのこと。
死因は脳溢血とも、
ハンセン病や梅毒などの伝染病とも、
あるいは毒殺だったとも言われます。

画像は私の故郷の港区白金台にある。
「清正公」と言われる、覚林寺という
清正さんが作ったお寺。

尾張に生まれ、秀吉の元、
熊本を支配する大名となりながらも、
東京にえらく痕跡を残しているのは、
家康による江戸の開発に
大きく寄与したからです。

なんせ熊本城で知られるように
建築術に関しては、相当の腕前でした。

石田三成と対立し、
関ヶ原では徳川側に付きますが、
それでも親のように慕っていた
秀吉への忠義を第一に考えていた人です。

なんせ、その健康を思って、
朝鮮出兵の際には虎を倒して、
秀吉に献上しています。

なんでも「虎は滋養にいい」という
噂があったようで、
朝鮮出兵の頃には衰弱が進んでいた秀吉を思い、
本当に「虎退治」を、
この人はやっていたんですね。

その虎の頭蓋骨も残っているとか。
朝鮮半島に虎なんていたのか
……と思うのですが、
今でも北朝鮮にはいるそうです。

そんな清正が江戸の開発に貢献したのは、
自家だけでなく、後見人のようになった
豊臣秀頼を守るため。

いつ徳川家に滅ぼされてもおかしくない
亡き主君の後継を、
後ろ盾になって必死に守ろうとしていたわけです。
大阪冬の陣・夏の陣が起こるのは、
彼が亡くなった数年後でした。

最後は報われなかった清正ですが、
それくらい「お世話になった人」に対して
頑張り続けることができるか?

自分にできることがあるなら、
躊躇なく、全力を尽くす。
結果がどうあれ、それが「武士道」。

あとは全力を尽くしたことに満足し、
先に待っている人の元へ
迷わず逝けばいいのではないか
……ということですね。

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