なぜ人は争い合うのだろう……?

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夏川による本の紹介ですが、
「なぜ戦争は起こるのか?」という問題を
未開民族の戦闘から考察した
文化人類学の有名な本。

『暴力の考古学』
(ピエール・クラストル著、平凡社ライブラリー)

著者はレヴィ=ストロースに学んだ、
フランスの有名な人類学者です。

「未開民族」といえば、
狩猟採集をしながら
のんびり生きているイメージですが、
近代化される前は多くの民族が集団での殺し合いを
習慣的に続けていました。

アフリカの部族しかり、
アメリカの先住民しかりですね。

本書はそんな「首狩り族」やら
頭の皮をはぐインディアンを調査した結果を
まとめたものですが、
「食料を得るために争う」でなく、
「資源を奪い合って争う」でもなく、
「贈与交換の延長」として、
戦争を必然の選択ととらえています。

なかなか理屈は難しいのですが、
争うことによって未開民族たちは、
自分たちの社会のアイデンティティを
守っているわけです。

面白いのは、戦うことによって、
彼らは「最強の1人」に
国家が統合されることを防いでいるということ。

最初から「お前は戦わなければならない」という
戦士階級を置くことによって、
「戦争を文化的な必然」にしてしまっている。

そうやって特定の地域内に、小部族が乱立し、
1つにまとまるのを防いでいるわけです。
まとまってしまったら、
それこそ長く守ってきた部族の生き方を
続けられなくなってしまう。
戦争によって個々の文化や宗教、
信条や伝統を維持しているわけです。

なるほど、そう考えると、
世界中の国内で、いろんな思想を持ったグループが、
互いにののしり合って、対立しているのも、
ある種、部族社会的なのかもしれない。

そうやって彼らは、自分たちの思想を維持している。
迎合せず、分断を加速させることで、
「自分たちの理想とする考え方」は守られる。
アイデンティティは維持され、同質な集団の中で、
精神的に満足できる状況を維持できるわけです。

ただ、「そのままでずっといられるか」といえば、
世界のつながりは、
そんな分断状況を容認してはくれません。

ほとんど未開民族が滅んでしまったように、
「まとまりをもった文化」が流入すれば、
統合を拒否する社会は、
圧倒的な数の差ですでに敵わない。
結局は価値観の妥協、文化の崩壊を
余儀なくされてしまいます。

日本も今、そんな過渡期にあるのだろうか。
自分の理想を追求するためにも、
広い視点をもって、
物事を対極的に見なければならない。

情報や知識を広く求め、
歴史や異文化に学ぶことは、
絶対に必要になりますね。

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