「水師」の「伯理」がやってきた!
- 2026/7/14
- できる人研究所

訪れたのはずいぶん前のことと思います。
こちらの巨大な記念碑。
「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」
とあります。
「水師」というのは、
中国の言葉で「海軍」を意味するとのこと。
日本にはなかった言葉ですね。
「伯理」とは、ハクリ→パクリ→ぺクリ
→ペーリ……という具合か。
「ペリー」を無理やり漢字にした言葉。
こちら横須賀の久里浜海岸にある
「ペリー公園」に立っている碑。
この場所に1853年の
7月14日(旧暦で正確には6月9日)に
黒船を引き連れてきた海軍提督ペリーが
日本に上陸しました。
7月14日はそれで
「ペリー上陸記念日」と
されているようです。
イギリスやフランスと異なり、
海外進出には遅れていたアメリカ。
日本に開国を迫ったのも、
捕鯨基地となる港を求めてだったといいます。
それでもペリーは、
蒸気船を中心にした航海術を研究し、
「蒸気船海軍の父」とまで言われた人物。
じつはものすごく学識があり、
戦略的な頭脳を持った人でした。
その彼は「圧倒的な軍事力を先に見せてしまえば、
日本の侍も抵抗することなく、
交渉を有利に運べるだろう」と、
計算していたんですね。
それで浦賀に現れたあと、
ゆっくりと久里浜に上陸し、
開国を要求した後も、
ウロウロして測量などを続けていました。
この艦隊になんとしても乗り込もうとしたのが、
かの吉田松陰だったのですが、
ペリーは要するに、
「とてつもない奴らが来た」ということを
アピールできればよかったんですね。
武力攻撃はよっぽどでなかれば、
ある予定もなかった。
「黒船」はある意味、ハッタリだったわけです。
それで日本はペリーの艦隊を迎撃できたのかといえば、
それもじつは微妙。
砲台をいくつも作ってはいましたが、
日本の大砲はどれも年代もので
海岸にいる船になど、
とても砲弾が届かなかったと言われます。
でも、この砲弾のハッタリで、
ひたすら鎖国を続けていたのが
江戸幕府の実体だったらしいです。
ハッタリ同士のかまし合いですが、
結局は力のあるほうに逆らえない。
それが国際関係というもの。
海に囲まれた国でも、
やってくる人を止め続けることは、
不可能だ……ということなのでしょう。
現代もそれは通ずることかもしれません。




