安政5年のフロントライン
- 2025/6/17
- できる人研究所

コロナ禍における
「ダイヤモンドプリンセス号」をモデルにした映画、
『フロントライン』が話題になっています。
それにかこつけるわけではありませんが、
じつは旧暦にはなりますが、
今からおよそ170年前の
1858年6月17日は、上野に
「お玉ヶ池種痘所」が
設立された日なのだそうです。
といって、それ何……?
と言う方がほとんどでしょう。
「種痘所」というからには、
ようするにジェンナーが発明した
天然痘のワクチンである「種痘」を打つ施設。
伝染病に対する防疫やワクチンに対しては、
忌避する人の多さをふまえ、
いまだ「後進国」と言われる日本ですが、
意外にも江戸時代から、西洋医学のワクチンを取り入れ、
その普及に努めていたんですね。
この設立に奔走したのは、
シーボルトの弟子だった医学者、伊藤玄朴や
杉田玄白の子供である杉田玄端ら
蘭学者たち。
83人が資金を拠出したそうですが、
開明派武士であった川路聖謨の邸宅を借り、
天然痘の予防と治療を専門とする
治療所をつくったのだそうです。
いまでは撲滅された天然痘ですが、
江戸以前の日本では
たびたび流行して大勢の死者を出した
最悪の伝染病でした。
致死率は30パーセントと高く、
治癒しても一生を左右するような
痕を残した。
その差別については、時代小説を読めば
たびたび出てきますよね。
たまたま子供の頃にかかったばかりに、
顔を隠し、地味な仕事をしながら
生涯を過ごさざるを得なかった人々が
江戸の町には一定数いたわけです。
そんな不幸をなくそうと、
誕生した江戸の予防施設。
現代のワクチンと同様、なかなか受け入れてもらうには
難しいところもあったようですが、
それでも少なからず感染の拡大を防ぎ、
多数の人間を救ったとか。
ちなみに東大の医学部は、
この「お玉ヶ池種痘所」にあるそうです。
いつの時代も、非難にめげず、
命を救おうと懸命の努力をした医学者たちに
日本も世界も延命されてきた。
そのことは忘れていけないかもしれません。