
画像は港区の覚林寺、
いわゆる「清正公」に貼ってあった言葉。
「一切衆生悉有仏性」というもの。
日蓮宗のお寺ですが、
この言葉はお釈迦さまが、
入滅前に語ったとされるもの。
ですから他の宗派でも共通ですし、
のちに大乗仏教が生まれる元となった
重要な教えとされています。
その意味はといえば、
「一切衆生」とは、
「この世に生まれたありとあらゆる生き物」
ということ。
「悉有仏性」とは、
「仏性を持っている」ということ。
つまり、
「この世に生を受けた存在は、
すべて仏性をもった価値のある存在である」
「だから、あらゆる人間、あらゆる生物と、
私たちはわかりあうことができるんだよ」
という教えであるわけです。
排外主義の人、
あるいは熊で悩んでいる地方の人から見れば、
この上なくリベラルで、
文句を言いたくなる言葉かもしれません。
歴史的事項として、
お釈迦さまがこの言葉を言った当時のインドは、
現在と同様、多民族国家でした。
さらにカースト制で身分は細かく社会を縛り、
他者との争いが頻繁に起こる日常。
お釈迦さま自体は小国の王族ですが、
決して宗教的に多数派ではありません。
それでも「あらゆる人間はわかりあえる」と、
彼は説き続けた。
だから仏教は民族の枠を越え、
アジアの東へ、中国へ、日本へ……と
広がっていったんですね。
もちろん、わかりあおうとする必要なんてない。
「敵とみなすものは、すべて排除せよ」
というのも、1つの考え方なのでしょう。
でも、相手を「仏性のある存在」とみなし、
「ならばなぜ、敵対するのか」と考えれば、
争う以外の選択肢も出てきます。
「どうして熊は人里に
降りてきてしまうのだろう?」
「なぜ日本に来た外国人の中で、
犯罪を犯す人間が出てきてしまうのだろう?」
「なぜ中国は、日本をそんなに
危険視するのだろう?」
そう「向こうの立場」を考えてみれば、
ただ敵対する、ただ排除する
ただ相手をやっつける……とは、
別の問題解決策も考えられるわけです。
とくに攻撃的な言葉ばかりが、
つい感情的になりがちな私たちに
あっという間に支持されて広がってしまう現代です。
一歩引いて冷静な頭で、
性善説にのっとって「相手の視点」で考えてみるのは、
問題を解決するのに重要かもしれない。
少なくとも紀元前の世界で、
釈迦はそれを目指してみた……ということですね。
今、この言葉をお寺が掲げていることも合わせ、
私たちに必要な視点なのではないでしょうか。




