原爆をつくった人間には何があったのか?

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8月6日は広島の原爆記念日です。
今年で77年ということですね。

ウクライナでの戦争があり、
核兵器の使用が再び世界の懸念になっている中での
原爆記念日です。
その意味は、今年は大きいのではないかと思います。

そこで紹介しておきたいのは、
1986年に出版されている科学分野の古典、

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
(岩波現代文庫)という本。

ノーベル賞物理学者、
リチャード・P・ファインマン博士の
半生記+エッセイですが、
難しい物理学の難問をわかりやすく解説するともに、
科学を無視した世の中の矛盾について
イチャモンをつけ続けた
破天荒な人生を送った人物として知られています。

その一方で、彼は原爆の開発者の1人。
1943年にロスアラモスの研究所で始まった
「マンハッタン計画」に参加していました。

ヨーロッパで虐殺を続けながら
勢力を拡大しているナチスドイツを倒すには、
強力な兵器を開発するしかない……。

そう信じて研究に参加した若い科学者の1人だった
ファインマン博士。
ストレスのなか、ついに原爆を作り上げるのですが、
こんなふうに本には書いています。

「僕をはじめみんなの心は、
自分達が良い目的をもってこの仕事を始め、
力を合わせて無我夢中で働いてきた。
そしてそれがついに完成したのだ、
という喜びでいっぱいだった。
そして、その瞬間、考えることを忘れていたのだ。
つまり、考えるという機能が、
まったく停止してしまったのだ」

その後、広島・長崎で原爆が使われたあと、
大学で教鞭を取るようになります。

しかし、何かいつものことをしている最中に、
ふと気づくと、
「広島での爆発は一体、
半径がどれだけの大きさだったのだろうか?」と、
無我夢中で計算を頭の中で繰り返している
自分がいることに気づく。

やがてファインマン博士は
精神の病を宣告され、仕事を中断。

復活したときは完全に
「自分はもはや好きなことしかやらない」
と開き直り、
ハチャメチャ人生の実践者に変わっていたわけです。

生涯、日本を愛した方でもあったとか。
さまざまな気持ちを抱えながら、
何度も日本に来ていたようですね。

結局は、巻き込まれることで多くの人間を
不幸にもしてしまう。
原爆の被害は私たちが思う以上に、
はるかに大きい、ということです。

だからこそ
「それを必要と考える人間がいる世の中」を
変えていかねばなりませんね。

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