戦火の「世界遺産」

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

ウクライナの「オデーサ」が
世界遺産に登録されるそうです。

まあ、ユネスコも明らかに
ロシアの攻撃を回避することを狙っているでしょうから、
当然のごとくロシアは反対しています。

とはいえ、この町の歴史遺産のほとんどは、
華やかだったロシアの帝国時代に築かれたもの。
プーチンさんの言葉では、
「自分のたちの偉大さを示すため」の戦いで、
自分たちが残した誇り高い遺産を
破壊しようとしているのですから、
戦争自体の大きな矛盾も感じてしまいます。

でも、世界遺産に登録される
「オデーサ」という場所、
いったい歴史的には、
どんな都市なのでしょう?

日本人には馴染みがないし、
私世代の男の子には、
「ガンダムが戦った場所」という
思い出しかないかもしれません。

これについては前にもブログで紹介しました。
1905年にこの都市の港に
戦艦ポチョムキンが入港します。

この船、上官の理不尽に抗議した水兵たちが
主導権を奪っていたもの。
やがて町の住民と手を組んだ抗議運度は
映画でも紹介され、
この町は「支配に抵抗する民衆たち」の
シンボルにもなっていたんですね。

ただ、この町の歴史遺産の発端は、
もっと前にあります。
かつてロシア帝国が支配していたオデーサですが、
ロシアといえば、
文化最先端のヨーロッパと少し距離を置いて、
独自路線を築いていた王国。

でも、それでは国が繁栄しない……ということで、
19世紀の皇帝・アレクサンドル1世は、
わざわざフランスから長官を招き
オデーサを「自由都市」として
ロシアと異なった独自経営をさせていくわけです。

それで画像のような
ヨーロッパ風の劇場ができたり、
プーシキンのような詩人が一時的居を構えたり、
反乱を起こした戦艦がやってきたり……と、
自由気質が発展してきたんですね。

ソ連の時代を乗り越え、この伝統は今、
ウクライナに受け継がれている。

本来の姿としては、
ロシアの政治はもちろん、
ウクライナの政治ともある程度独立し、
国際都市として
中立な立場を保たせるべき場所なのでしょう。
世界で保護すべき場所ですね。

関連記事

ページ上部へ戻る