便利がゆえに不便になるのはなぜ?

毎週配信メルマガ「賢者の会」通信はこちら

広島で歴史的な出来事が進行している現在ですが、
今日はそれと関係なく、私の個人的な話。

じつは昨年の車検を済ませたときから、
ずっと懸念だった車の故障が、
今日、やっと修理することができました。
めでたし、めでたし……ですが、
実はそれほど嬉しい話でもない(笑)

故障をずっと放っておいたのは、
運転にさほど影響がないから。
壊れていたのは、助手席側の窓なんですね。

今どきの車は「パワーウィンドウ」といって、
スイッチひとつで自動的に窓がスライドして、
下に引っ込んだり、上に閉じたりします。

それが壊れて動かなくなった……。
とはいえ、1人で乗っているときは
助手席側の窓は関係ないし、
エアコンをつけていれば開ける必要はない。

乗った誰かが「空気を吸いたい」と言ったとしても、
後ろの窓を開ければ、それでよかったわけです。

ただ、もし私が車に乗ったまま
海に落ちたりでもしたら、
窓を開けてそこから逃げなくてはいけない。

だから直さなければいけないのですが、
それが簡単にはいきません。

なんせ私が乗っているのは型落ちのフランス車で、
部品を本国から取り寄せるのに
やたら時間がかかります。
実際、半年近くかかったし……。

おまけに車の値段から考えれば、
窓だけの交換部品にも関わらず、
あまりにも理不尽に値段が高い……(苦笑)
本当にまいってしまいますよね。

そもそも私の感覚では、
「車の窓」といえば、ハンドルみたいなのを
ぐるぐる回して開け閉めするもの。

あれだったら調整もしやすいし、
誰だって開閉できる。
部品交換だって、たぶん簡単なのでしょう。

ところが技術が進化し、
スイッチ1つ便利になるとともに、
安全性も増した。

そのぶん、壊れると収拾がつかないくらい
面倒くさいことになってしまうんですね。

よければ自分の車だけ、
ハンドルの窓に戻してほしい……。
そんな気持ちもあるのですが、
これも安全のための未来投資なのでしょう。
怠ってしまうと、何かあったときに困るかも。

やるべきことはきちんとすます。
素直に修理されたことを喜ばねばいけませんね。

関連記事

ページ上部へ戻る