「江戸インフルエンサー」の最高の功績

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7月30日は「土用の丑」の日でした。
ささやかなですが、
私もスーパーで買ってきた鰻を堪能!

でも、もっとちゃんと焼いたものを
食べたいものですね……。

この「土用の丑」ですが、
だいたい7月の終わりか、8月の始めごろにくる
五行思想からの日付。
夏の暑い日になることが多いのですが、
本来、この日に特別、
何かをする風習があったわけではありません。

これを「鰻を食べる日」にしたのは、
かの平賀源内がプロデュースした
鰻屋さんの販売戦略だったとされます。

それが本当かどうかわからないのですが、
18世紀の時代に生き、
「江戸の発明家」としてよく知られる平賀源内。
エレキテルという電気を作る機械を作成したり、
竹とんぼやプロペラの原理も生み出したと言います。

なのになぜ、鰻屋さんの広告に関与しているのか?
ちょっとこれは不思議ですよね。

そもそも源内さんの本職とは何だったのか?

元武士で、蘭学者……というのは、
表の肩書き。
実際にやっていたのは、マーケッターであり、
実は今のユーチューバーみたいなこと、
だったんです。

ネットもない時代に、ユーチューバーとは
ありえないことでしょう。
でも、エレキテルなどの一種最先端科学で皆を驚かし、
評判をつくったうえで、
手がけたのは伊豆や秩父の鉱山から出た鉱物を
広く売ることでした。

「西洋の最先端知識を知っている」というメリットを生かし
今のインフルエンサーがやっているように、
商品をバズらせれる仕掛けを打っていったんですね。

そんな流れから、江戸の商人たちに頼まれて
マーケティングの依頼も受けていました。
つまりは「コンサルタント」だったわけですが、
鰻屋さんの広告戦略もその1つ。

他にもテレビもなかった江戸時代に、
「歯磨き粉の歌」を流行らせることで、
ヒット商品を作るようなこともしていたんですね。

大した天才だったのですが、惜しむらくは短気で、
気が荒かったこと。

酔った勢いだったそうですが、
自分が作った工事の図面を
使っていた大工たちが盗んだと誤解し、
彼らを刀で斬り殺してしまいました。

源内さんは逮捕され、獄中で破傷風になり、
50代にして病死してしまったとされます。

「エキセントリックな奴だったけど、
せめて死ぬときは常人のように
畳の上で穏やかに死んでほしかったなぁ」

そんな言葉を死後に贈ったのは、
「解体新書」で知られる杉田玄白さんでした、

その才能はちゃんと
正当な科学者も認めていたわけですね。

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