そもそもは「反戦」から生まれたバレンタインデー

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2月14日、そういえば
バレンタインデー……でしたね。

まあ、あまりチョコとも縁のない私は、
ブログで毎年、画像の方を紹介しています。

聖ヴァレンティヌスさん……そう、
「バレンタインデー」というのは、もともとはこの
キリスト教の聖人の命日なんです。

なんでも世界には
「ヴァレンティヌスさんのお墓」が12ヶ所存在するとか。
それくらいの有名偉人なんですね。

彼が死んだのは、処刑されたから。
ときは3世紀のローマ帝国下、
皇帝の意向に逆らったことで斬首刑にされます。

なぜ彼が皇帝に逆らうことになったのか?
じつは当時の皇帝、ゲルマン人との戦争の真っ最中で、
「最近のローマの若い兵は、すっかり弱くなった」
なんてことを悩んでいたそうです。

「最近の若い奴は……」
まあ、どの時代にもよくある“先人の嘆き”ですが、
この皇帝は度を越して、
兵士の結婚をすべて禁止にしてしまったとか。

おかげで戦争に繰り出されるカップルは、
愛を誓い合うこともできない。
ただでさえ生きて帰れるかわからない蛮族との戦いですから、
離縁を余儀なくされる兵士たちも
多く出ることになりました。

「そんなことがあってはならない!」と
心を痛めたのが、
平和主義者のヴァレンティヌスさん。

「戦争なんかで人生を犠牲にしてはいけないよ」と、
皇帝の方針を無視し、
教会での結婚式をガンガン執り行ったとのこと。
それで逮捕されてしまったんですね。

逮捕されたあとも、
他の受刑者や看守たちに説法を続けた
ヴァレンティヌスさん。

なんだか吉田松陰とか、橋本左内さんを彷彿しますが、
そんな「争い」より「愛」を優先する精神が、
バレンタインデーの発端になったのだそうです。

考えてみれば、いまだガザ地区はおろか、
ウクライナの戦争も終わっていない現状です。
多くのカップルや夫婦が、
この戦争で引き裂かれる悲劇に遭遇しているでしょう。

そんなことが世界からなくなるように、
もう一度、記念日がある意味に
立ち戻ることは重要かもしれませんね。

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