昭和の日、たまたまこちらへ

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昭和の日……だからというわけではありませんが、
先日はたまたま近くに来たので、
ここでお参り。
「靖国神社」ですね。

戦争で戦った兵士を御霊として祀った神社
……ということで、
平和への願いをここでするべきかどうかには、
さまざまな考え方があるのでしょう。

特に「戦犯」とされた
軍部のリーダーたちが祀られたことには、
昭和天皇も反対だったと言います。
その点ではその誕生日を記念している
「昭和の日」には、
ふさわしくないかもしれませんね。

ただ、この神社の本来は、
明治政府が国を立ち上げたときに、
倒してきた武士たちを鎮魂するために
つくった神社でした。

方向性は違えど、列強国支配をはね除け、
平和な日本を志した気持ちは、
どちらも変わらなかった。
だから「神様」にすることで、
彼らの意志に応えようとしたわけです。

その意味では、多くの御霊がやはり
世界の平和をここで願っているのではないか?
そんなふうには思いますね

近くには東京裁判で、
「戦勝国が勝手につくったルールで、
敗戦国の人間を裁くべきではない」と
被告人無罪を主張したインドの
「ラダ・ビノード・パール判事」の碑もありました。


ただ彼は
「日本人が大陸で行った残虐行為」であったり、
逆に「アメリカによる広島・長崎への原爆投下」は
厳格に裁かれるべきと考えていました。

つまり、「戦争という政治行為における罪」を
個人に帰すべきではないけれど、
その必然性を超えた、度を越した殺戮は
個々の罪として厳しく裁かれるべき。

あくまで「殺人は、殺人」ということですね。
民間人を殺すのは、
いかなる場合でも許されないとしたわけです。

そういう点では
やはり今のウクライナ問題も、
正しく犯罪行為が裁かれる必要があるでしょう。
つーか、いいかげんロシアはもう、
攻撃をやめなさいって。

奪われる必要のない命が、
これ以上に奪われてほしくないと、心から願います。

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