「人類初」の功績を忘れない

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「地球は青かった……」

あまりにも有名なこの言葉。
人類初の有人宇宙飛行に成功した、
旧ソ連の宇宙飛行士、
ユーリ・ガガーリンさんのものですね。

今から62年前の4月12日に、
大気圏外を1時間50分、
「ボストーク1号」での宇宙飛行に成功しました。

今でこそ民間人も宇宙飛行ができるようになりましたが、
なんせ地球の外に人間が出るのは初めて。

当時27歳だったガガーリンさん、
たった1人で宇宙空間にいるとき、
ソ連からは階級の出世を伝えられたとか。
つまりは打ち上げた側も
「生きて帰れないかもしれないな」と、
半分は覚悟していたんですね。

それでも無事、生還したガガーリンさん、
世界がその偉業を称えたのですが、
今のロシアがそうであるように、
政治的な対立な中に巻き込まれていきます。

なんせ人類初の偉業を、
ソ連が成し遂げたわけです。

かの国がアメリカと冷戦下で張り合っていた当時、
ガガーリンさんはソ連の偉業を宣伝する
メッセンジャーとして活用され、
世界各国へ派遣されるようになりました。
日本にも62年には、やってきているようですね。

そんなことより、
第二、第三のチャレンジをするため
宇宙開発の仕事に戻りたかったガガーリンさん、
ところがソ連の政治的な事情が
それを許しませんでした。

ソ連では政権が代わり、
フルシチョフからブレジネフの時代へ。
すると前政権の功績を象徴する人物だったガガーリンさんは、
次第に仕事からも遠ざけられるようになっていきます。

そして宇宙飛行のミッションからも外され、
飛行機のパイロットに転身させられます。

ただ、ほとんど航空機の飛行経験がなかった
ガガーリンさんです。
1から訓練をやり直さなければならず、
その途上で、墜落事故を起こし、
帰らぬ人になってしまったんですね。

それが宇宙飛行から7年後、
34歳の短い人生でした。
暗殺の噂もありますが、一応は否定されています。

人類初の偉業を成し遂げ、
誰もが知っている名言を残しながらも、
世界情勢に翻弄され、
あまりにも寂しい最期を迎えてしまった人生。
こういう方を二度と出してはいけないでしょう。

でも、それ以上に、
前代未聞の一歩を踏み出した勇気を
人類は絶対に忘れてはいけませんね。

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