ソクラテスの「武士道」とは?

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4月27日は、ソクラテスの命日ということで、
「哲学の日」とされているそうです。
紀元前399年という、はるか昔のこと。
今から2422年前ですね。

このソクラテスさん、
じつは新渡戸稲造さんの『武士道』にも
よく登場しています。

それはまさしく、彼の死に関わっていること。
あらゆる哲学論者に議論を持ちかけ、
ことごとく論破していったソクラテスさん、
今でいう「名誉毀損」の罪を問われ、
謝らなかったために死刑の宣告を受けます。

彼はアテネから逃亡もすることもできたはずですが、
国家のルールに従い、死を受け入れることにします。

「ソクラテスは論理的には理不尽と知りながら、
逃亡できたにもかかわらす、
命じられた毒杯を手にとりました」

「その一連の手続きと態度には、
明確な意志をもって自殺行為を実行する様子が
表れているのではないでしょうか?」

『武士道』の記述ですが、ここに新渡戸稲造さんは、
日本の武士の切腹における覚悟と
同様なものを見出したんですね。

決して罪を認めて腹を切るのではない。
自分が決して間違っていないことを証明するため、
あえて決められた法に従うことで
「正しさ」を貫こうとしたわけです。

「われわれを待っている運命が、
現在以上に過酷なものであっても、
安易なものであっても、
とにかく不正を行なうことはいかなる場合にも、
これを行なう者にとって悪であり、
恥辱なのではないか」

これが弟子のプラトンが書き記している、
ソクラテスの決心を示す言葉でした。

最近、自分も研究をしていますが、
チャットGPSの登場で、
「AIをどう使うか」という議論が活発化しています。

ただ、その中でいつも見過ごされるのは、
「自分の考えを言うこと」の意義です。

正直、あらゆるところから人の意見を集めてきて
「これはこうだ」という文章を書くことなど、
今までだってずっとできたんです。
現に多くの「まとめサイト」が
同じようなことをやっています。

それよりも自分の考えを勇気を持って述べるからこそ、
あらゆる作家もライターも評価されてきたのであって、
その文化が続く限りは、
AI文章が人間を上回ることはありません。

まあ、2400年以来の文化が
変わる可能性だってあるのかもしれませんが、
私たちはこうした
「言葉を発することに命をかけた偉人たち」の仕事を
忘れてはいけない気がします。

画像はジャック・ルイ・ダヴィッド
『ソクラテスの死』です。

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