マチュピチュの「発見」の意義

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今から112年前の7月24日、
画像の世界遺産となっている遺跡が
発見されたそうです。
「マチュ・ピチュ」ですね。

ペルーの山の上にある、
インカ帝国と関係があったとされる古代都市。

時代は15世紀くらいですが、
この国が文字を持たない文化であり、
またスペインに早々に征服されてしまった結果、
いまだ、この都市の歴史について
詳細はわかっていません。

それでも一度は訪れてみたい。
絶景の空中都市ですよね。

ですが、1911年にこの遺跡を発見した
考古学者のハイラム・ビンガム3世さん。
実際は「発見した」といっても、
地元の人々はこの廃墟になった都市のことを
よく知っていました。

というより、
地元の人々には頻繁に遺跡に出入りし、
ここを再開発して、商売しようと
企んでいた人物もいたくらい。

そんな場所にビンガムさんは、
アメリカの学者として初めて
訪ねることができただけだったわけです。

それどころか一つ、
「勘違い」もしてしまいました。

地元の人に「この都市の名は?」と聞いたのですが、
あまり彼は現地の言葉が得意ではない。
で、聞かれた側は、
てっきり「山の名前は?」と聞かれたと思い、
「マチュ山(ピチュ)です」と答えた。

これがいつのまにか、
遺跡の名前になってしまったんだそうですね。
本当は「ワイナピチュ」と呼ばれていたそうですが、
その名は100年以上が経って、
すっかり忘れ去られてしまいます。

そんなふうに批判もされるビンガムさんですが、
歴史学的にはやはり、
「学術的に記録し、報告する」ことに
意義があるわけです。

確かに皆知っていたかもしれないけれど、
彼が世界に存在を知らしめたことから、
探求と保全の長い歩みが始まった。

ですから間違いなく、
この日には「偉大な歴史が動いた日」であることは
事実なんですね。

それがおよそ110年前のこと。
「長い」と見るか、「たった」と見るか。
まだ世界には、大勢に認知されていない
未発見の「幻の都市」が存在するかもしれませんよ。

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