文豪はいかにして生まれたか?

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画像は私のサイトの中にある
『努力論』の紹介ページ
ですが。
8月22日は、幸田露伴さんの誕生日だそうです。

生まれたのは、慶応3年の1867年。
江戸が明治になる1年前ですね。
今年で生誕256年になります。

父親は幕臣だった、とのことですが、
時代が時代。
明治政府で生活は大変だったのでしょう。

露伴さんは、今の日比谷高校も、
今の青山学院大学も、
結局は経済的事情で退学しています。

それから電信技師として働きだしますが、
「本を書きたい」という夢
捨てられなかったのでしょう。
たまたま父親が始めた書店で働きながら、
数々の文学作品を読みあさるとともに
執筆を開始。

25歳のときに『五重塔』で
作家としての地位を確立しました。

まあ、私が現代語訳した古典のとおり、
「努力の人』だったんでしょうね。
根気よく続けていくことで、
ついに他人から認められるだけの作品を
完成させたわけです。

そんな性格の要因となったものに、
露伴さん、幼少の頃から、
かなり病弱だったことがあります。

すでに誕生してすぐ、病にかかって
医者の世話になっていますし、
子供の頃もずっと、医者の世話になりっぱなし。

大人になっても『五重塔』を書いてすぐ、
腸チフスで生死の境を彷徨っています。
何度も死の経験を乗り越えているぶん、
絶対に人生に、悔いは残したくなかったのでしょうね。

自分の体の弱さを克服しようと、
露伴さんはかなり、健康オタクにもなっています。

その最たるものは『努力論』にもふんだんに
紹介されています。
道教の「氣」に対する考え方です。

人は自然のエネルギーと同調することで、
よりよく生きることができる。
理論はかなり難しいのですが、
努力する一方で、それをラクに実行することが
重要なのだと考えた。

結果、 79歳までほぼ現役、
昭和の戦後まで作品を書き続けたわけです。
ぜひぜひ、その考え方は
皆に知ってほしいですね。

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