常識を越えるには?……我に勝ち、味方に勝ち、敵に勝つ

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「我に勝ち、味方に勝ち、敵に勝つ」

この言葉を言ったのは、源義経だということ。
4月30日は、その命日ということで
「義経忌」とされているそうです。
(新暦では6月15日)

地方によっては、義経にちなんだ
お祭りも行なわれるとのことですね。

義経といえば、常識破りの戦法で、
源平の合戦において、
ことごとく平氏を破った戦争の天才。

有名なのは
「ひよどり越え」と呼ばれる奇襲戦法です。

本当にやったのかどうか、議論はありますが、
兵庫県、一ノ谷の戦いで、
騎兵のみを使った軍勢で
山を一気に降って敵の背後を突いた。

いずれにしろ「歩いて戦う武士の中に、
司令官のみ馬に乗っている」のが、
普通の軍勢の考え方。
馬に乗っている司令官は威厳を保てそうですが、
スピードは歩く兵に合わせざるを得ない。

この発想を捨て、
義経は「馬だけの精鋭隊」を作ったから、
奇襲作戦をことごとく
成功させることができたわけです。

じつは義経が勝つためにやった、
もっと簡単なことがありました。

・敵地域の村に火をつける
・川を渡っている敵部隊の「船の漕ぎ手」を弓で打つ

村の農民も、船を漕ぐ人夫も、
戦闘員ではないので、
当時の合戦では攻撃することを
タブーとされていた。
バチが当たりそうですものね。

そういう固定観念を義経は積極的に破って、
勝利をしたわけです。
卑怯といえばその通りなんですが、
「自分の中にある固定観念」や、
「周りの人間が信じている固定観念」を
根本から疑い、破ってしまった。

これを平気でやってのける軍勢は、
そりゃあ強いですよね。
まあ、評判はものすごく悪かったのですが。
(とはいえ、義経がやってからは、
素直に皆、真似るようになります)

ただ、そんな義経が兄の頼朝に追われ、
最後に敗れることになるのは、
朝廷が国を支配する当時の世の中の常識には、
ずっと囚われていたから。
敵対しているはずの上皇の策略に
ほいほい乗ってしまったわけです。

頼朝はそんな固定観念を崩し、
幕府が朝廷を管理する新しい世をつくったのですが、
戦術的には天才であっても、
頼朝の戦略を彼は理解することができなかった。

「戦略」と「戦術」という言葉を区別したのは
クラウゼヴィッツの『戦争論』ですが、
彼の定義はこうです。

・戦術=戦闘において軍を活用するための理論
・戦略=戦争の目的を遂行するための理論

いくら戦術に長けていても、
戦略面における目標を頭に描けなければ、
最終的な勝利者になれない。
この点で義経は、
平安の貴族社会を変えようとした頼朝に、
完全に負けていたわけですね。

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