ご苦労様でした。小四郎。

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昨日はワールドカップ決勝戦の話をしたのですが、
その前のNHK。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が最終回を迎えましたね。

前に特番で、小栗旬さんや小池栄子さんが
「最終回の台本を読んだときに
驚愕した」という話をしていました。
同時に「どうやって演じようか」と。

なるほど、まさか大河ドラマで、
こんな壮絶な最終回があると思いませんでした。
詳しい内容は申しませんが、
なるほど、北条義時というキャラクターの最期は、
こうでなければいけなかったんですね。

実際、武家の時代を作る前の一段階として、
役割を完全にまっとうした北条義時。

私は政子と息子の泰時が教科書にしたという
『貞観政要』を現代語訳しましたので
その観点からよくブログでも紹介しています。

一方で義時がもし読んでいたら、
絶対に愛読書にしただろうと思うのが、
マキャベリの『君主論』でしょう。
読んでいただければわかるでしょうが、
大河ドラマを通じて彼がやってきたことは、
まさに「マキャベリそのまま」でした。

建前でも理想的な正義(=『貞観政要』)
VS.国家を築くための必要悪(=『君主論』)。
時代が平和になっていくことで、
必要なことは後者から前者になっていく。

最終回では3代目執権となる息子・泰時が、
武士の理想的規律となる「御成敗式目」を
制定することになります。
これによって武士は建前上、正義の執行者となり、
「武士道」が出来上がっていくわけです。

でも、それで本当に正しかったのか?

『鎌倉殿の13人』では半分だけ、
その説を採用した形になりましたが、
「北条義時は奥さんに毒殺された」という説があります。
三番目の奥さんの「伊賀の方」と呼ばれる人物でしたが、
理由は息子の正村を後継者にするため。
陰謀には義時の親友だった三浦氏が
最後の裏切りで加担します。

じつは物語の後日談で、義時の死後、
伊賀の方と三浦氏が共謀して
正村を執権にしようとする
「伊賀氏の変」が起こりました。

ただこれは政子のほうが事前に察知。
「説得によって終結する」という
義時の時代にはなかった裁定が行なわれます。

三浦氏はそのまま、伊賀の方は伊豆へ。
正村は執権となる泰時の家臣として、
そのまま身を鎌倉に置かれます。
絶対に義時なら殺したと思いますが、
「もう誰も鎌倉では死なせない」という政子の願いが
貫かれたわけです。

で、この正村がどうなったかといえば、
史実ではずっと泰時を支え、
その後、国に混乱が生じたとき、
7代目の執権として短い間だけ幕府を支えるんですね。

泰時のひ孫にあたる時宗が成長すると
彼にすぐ執権職を返上し、その補佐になります。
2人の力で、日本は「元寇」を
追い返すことに成功します。

本意ではなかっただろうけど、
結局は子や孫たちが、自分に作れなかった
平和な時代を作っていった。
悪人になりきった義時は、
さぞあの世では満足したのでしょうね。

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