泥土の下には盤石あり

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千葉県がまた、大変なことになっています。

前は線状降水帯でしたが、
今回は台風の影響で、佐倉市がなかなか
水が引かない状態になってしまいました。

佐倉市といえば
「国立歴史民俗博物館」のある場所で、
私も何度か訪ねていますが、
なんでも印旛沼に流れる高崎川が
増水した結果だそうですね。

画像は利根川ですが、
利根川から印旛沼のある地域は、
徳川家康が江戸を拡張するため、
江戸へ流れる大河を利根川に東遷した大事業によって
現在の姿になった場所。

結果、毎年のように
水害に悩まされることになりました。

天領も多くあったため、
幕府はなんとかしようと
治水計画を画策してきたのですが、
19世紀の「天保の改革」のとき、
この地の水害をなくすべく、
大事業を立ち上げた人物がいます。

それが「泥土の下には盤石あり、
雲霧の上には太陽あり」と言った人、
二宮尊徳(金次郎)さん、なんですね。

金次郎さんといえば、
薪を背負っているときも本を読み、
勉強していた人。
そればかりが有名ですが、
勉強してどうなったのか、
知らない人もいるのではないでしょうか?

彼が学び、専門家になったのは、
農業改革や治水事業です。
当時、最先端の測量法や工法を駆使して、
水害を防いだり、
米の生産量を上げることを実現しました。
藩に雇われたコンサルタントのような立場で、
故郷の小田原などで、
実績を出していったわけです。

そしてこの実績をもって、
利根川水域や印旛沼周辺の
大規模な治水計画を尊徳は依頼されたわけです。
彼は完全な測量をやりとげ、
大がかりな事業計画を作成したとのこと。

しかし尊徳さんのやり方は、
「報徳思想」というもの。

「社会に貢献すれば、自らに還ってくる」
というもので、
その延長にある「報徳仕法」は、
毎年の生産量を増やしていき、
生活を安定させたうえで、
余剰分を少しずつ新規開発に回していく
……という方法です。

だから確実で農家にも優しい……のですが、
幕府から見れば、
「時間がかかりすぎる」ということだったんですね。

それでも幕府は彼を手放さず、
常陸や日光などの天領では、結果を出しています。

水との闘いは、それだけ長く、
コツコツと継続することが重要になるわけですね。
「みんなのため」が結局は、
「自分のため」になる。
そのことを私たちは忘れないようにしましょう。

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